過ぎてしまったことの記憶は明日のために都合よく変えてしまえば良いと思います。
『InterComunication 特集 音楽/メディア』No.64(2008年春号)読書メモ
Inter Communication (インターコミュニケーション) 2008年 04月号 [雑誌]
斜め読みした時、増田聡「『作曲の時代』と初音ミク」が面白いと思ったのは、知ってる人だからというのは関係なく、これだけが、音楽を作るやり方、音楽を聴くやり方、音楽と人を取り巻く状況の変化についてだけではなく、「音楽を聴く」という行為の意味が変わっていること(聴き手はみんな作り手のようなものになる、しかし初音ミクの現況を考えると、それはまだ言い過ぎかもしれない云々)について語っているように見えたからだったのだけど、数日たったら、それはそれでほめ過ぎか、とも思った。個人的な好みとして、僕は、今、もっと細かな話を読みたいんだと思う。
個人的な狭い興味からは「年表 21世紀の音楽/メディア 1990-2008」が一番面白かったけど、でも出てくる本とかCDは、実際問題、入手困難で、日本の大学図書館にはないものも多いので、この年表は、誰に対してどういう意味を持つものなんだ?と思った。僕も、実際に何かに使うことは多分なくて、読んで楽しむタイプの年表だし。
ということで、この号の『InterCommunication』は、音楽の生産と受容を取り巻く状況の変化云々について考えると同時に、音楽の生産と受容の性質の変質についても考えるべきだろう、という問題意識と、あと、この雑誌は誰に何をどのように伝えるものなのか?という疑問を僕にもたらしたわけだけど、たぶんもっと表面的なレベルでは、これは、僕が20代前半の頃に持っていた音楽に対する趣味嗜好をパッケージ化する効果をもたらすのだろう、と思った。
例えば、
1.CDというメディアとCDという商品しか持てなかったレコード会社が衰退していくこと(CDの売り上げは落ち続けているらしい。)
2.「音楽産業」が音楽のネットワーク化の結果として繁栄していくこと(着うたとかで著作権者の収入は伸び続けているらしい。)
3.「今の音楽」が「過去の音楽のアーカイヴ化」に呼応したものでしかなくなり「作曲の時代(アタリ)」のようなものが来るかもしれないこと
(アタリの言葉を文字通り受け取ってはいけないと思うし、今のものは過去のものの焼き直しに過ぎないという判断は、いまどきの若者は…というクリシェでしかないかもしれないけど)
といった、全て別々の事態は、ヴァージンとかタワレコとか中古CD屋とかでCDを(僕はレコードじゃなかった)ジャケ買いしていた頃には考えなかったことだし。
ま、「音響派」は「歴史」になったみたいです。
「音響派」のことなんか全く知らない人もたくさんいるままだと思うし、ずっと知らない人のほうが絶対的に多数派だと思うけど。
2008年3月19日水曜日
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音響メディア,
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