2009年3月31日火曜日

asahi.com(朝日新聞社):低評価の大学、不満の声 国立大の評価

(cache) asahi.com(朝日新聞社):低評価の大学、不満の声 国立大の評価: 自分がこの世界に入(れ)るかどうかも分からないけど、「内部」ではない場所から見ると、なんか馬鹿馬鹿しいものに見えるのだけど、違うのだろうか?
「成果」とか「達成」とかはどうでも良いから、バイトしながらでも週に一回勉強会するようなメンタリティで生きるべし、という建前を訴える場所にいたからだろうか?これが馬鹿馬鹿しく見えるのは高踏的なのだろうか?
今の僕が考えても仕方ないけど。

2009年3月30日月曜日

たまってたDVD幾つか-9 Evenings, The Art of Performance - Story(1964), Merce Cunningham Collection vol.Iなど

9 Evenings
Variations VII by John Cage: E.A.T. - 9 Evenings: Theatre & Engineering
John Cage, Barbro Schultz Lundestam
B0015U0QNA
E.A.T. and ARTPIX: Open Score by Robert Rauschenberg
Robert Rauschenberg, Frank Stella, Simone Forti, Barbro Schultz Lundestam
B000OHZL4E
どっちも1966年10月13-23日にE.A.T. (Experiments in Art and Technology)主催で行われたお祭り騒ぎの記録。
ジョン・ケージ自身が机の上のテープ・リールとかを操作してるVariations VIIとか、ラウシェンバーグの変な作品とかの記録。

ケージのVariationsは、当然、クライマックスも何もなく延々と音が生成しては消えていく、という代物なので、集中して鑑賞する、という類の音楽ではないので、そのうちぼんやり再生する機会があれば良いなあ、と思うのだが、僕が今後死ぬまでに再びそんな時間を持つことがあるのかどうかはあやしい。
ラウシェンバーグのほうは知らなかったのだけど、アマチュアのテニスの試合があって、ボールがポーンと打ち返される音が会場に響いていた、というのにしか見えない。一緒に500人の観客には、イベント形式のパフォーマンス(「誰にも触れていない人に触れよ」とか)をしてもらっていたみたい。
僕の弱まった英語力では、テニスの試合とこの500人の観客参加型イベントの関連が分からない。

The Getty Museumに、David TudorやComposers in Electronics(という、チュードアが参加してたグループみたいなの)やE.A.T.関係の(つまり9 Evenings関係の)色んなアーカイヴがある。再び行くことがあるかどうかはあやしいけど、行ける機械があれば、もう一度チュードア・アーカイヴを漁りたい。演奏家を辞めたチュードアは、良くも悪くも電子回路オタク(というには学習能力が半端じゃないけど)に過ぎなかったことを明確にすると、20世紀後半の"シリアスな"音楽家の一事例として、けっこう面白いんじゃないかと思う。

The Art of Performance - Story(1964) [DVD]
DVD『The Art of Performance/ STORY (1964)日本版』発売記念企画 上映会+対談: "初回限定500部":メディア・ショップでの購入だと思うけど、500部だけ、とは。こういうのっていくらくらいの利益が出るんだろう。
30分ほどあるインタビュー部分は、いらない。「マイナーな有名人」を見て嬉しいわけではないし。20分ほどあるカニンガム・ダンス・カンパニーの「Story」(1964年のフィンランド公演)が(僕には)面白い。カニンガム・ダンス・カンパニーの映像はあまりない、という理由で。当然白黒です。

大上段に「現在のアートは…云々」とか考えるつもりはないけど、これ(カニンガム・ダンス・カンパニーの方)、ゆっくり見てると面白い。「ゆっくり見ないといけない」時点で困りものかもしれんが。
60年代には「アングラ」として見られたんだろうなあ、と思う。そして「アングラ」として見られるとすれば「エンターテイメント性がない芸術」は振りだろうなあ、と思う。でも「げーじつ」にコストパフォーマンスを求めてはいけない、と。

この音楽は一柳慧らしい。知らないけど。

http://art-into-life.com/?pid=3648233

Merce Cunningham Collection vol.I
Merce Cunningham Collection: Volume 1
Merce Cunningham Dance Company, Merce Cunningham & Elliot Caplan
9085140013
上の三本と違って、これはカラー映像。
ただしカニンガム自身が踊っている映像は収録されいない。
カニンガムのダンスを見て僕が得ることができるのは「人間の身体はこんな風な動きかたもできるのか、という発見」で、そういう地味でめんどくさい"発見"も、頭を柔らかくしてくれるものだから良いものだと思うのだけど、やっぱ昨日見た『ブルース・ブラザース2000』とは違うな、と思った。どっちにしろ僕はできないという共通点もあるけど。

ブルース・ブラザース2000
ブルース・ブラザース2000
ダン・エイクロイド, ジョン・グッドマン, ジョー・モートン, J・イヴァン・ボニファント, ジョン・ランディス
B000E6GB3Aどっちが良いかといえば、そりゃ前作の『ブルース・ブラザース』のほうが面白かったけど、でもそんなかたいことはどうでもよくて、面白かった。これを見ると、80年代初頭から2000年までに「アメリカの音楽」の中に「カリプソ」も含まれるようになった、ってことが分かる。あと「ブルーグラス」って言い方が定着したことも。(「定着」かな?むかしから「ブルーグラス」っていう言い方はあったのかもしれない。知らない。要するに、前作で「カントリー」の位置に置かれていたところに「ブルーグラス」が置かれている、ということ)。
バンドってのは、どんな音楽するかじゃなくて、どんな風に音楽するか、ってことが重要みたい。
一番感心するのは、ブルース・ブラザーズは全く「練習」しないんだな。かっこいい。

SCA-ヘイソク

SCA - MySpace : 音楽の無料試聴、動画、写真、ブログなど:MySpaceなので音が出るので注意。
ウェブサイト(たぶん)
「スカちゃん」から頂きました。ありがとう。
色々なアイデアがいっぱい詰め込まれている感があって面白く聞きました。
「ダーク」な感じは何なんだろうと思いました。「ただの若さ」でないことを祈ります。たぶん「ただの」若さではないと思います。
リフの重ね方が面白かったです。誰もがそう思うわけではないと思うけどけっこう「ポップ」なのかもしれません。
「ノイズ・ポップ」でも「ヒップ・ホップ」でも何でも良いので、リズムのヴァラエティの増加と音質を使った表現が増えるのを期待しときます。

前作と比べて「成長するもんだなあ」感で聴いてしまいました。
とにかく、「音楽とは」とか「芸術とは」とかぐたぐた話すだけのおっさんにはならないように。
あと、これくらいのウェブサイトならタグ打ちで作ろう。
あと、「SCAちゃん」の本名は「SCA」と全く関係のない名前なので要注意。

2009年3月29日日曜日

石舞台の下

石舞台古墳は、その下に入れる。
知らなかった。
そして、この石舞台古墳に近づくためだけに250円とられる。
わらけてきた。

2009年3月28日土曜日

9月2日の誕生花は「ミョウガ」

9月2日の誕生花は「ミョウガ」:366日・誕生花の辞典:誕生日らしいっす。
花言葉は「忍耐」。
ふと思うことがあって調べました。
僕の誕生日です。

2009年3月27日金曜日

TBSストリーム終了の理由

(cache) 小西克哉・松本ともこ ストリーム
(cache) TBSラジオ ストリームが3月で終了する理由を教えてくだ
ストリーム傑作選・勝谷氏のこの発言が!?(音源アップ) 4: "ストリーム傑作選・勝谷氏のこの発言が!?"
こんなにも良い、愛されている番組が打ち切られる理由がさっぱり分からないので、ぐぐってみた。
色々な理由が推測されていた。"説明責任"を求める言葉があんましないのは、最初から期待されてないんだろう。で、まあ、あんまし大きな声では説明できないような理由なんだろう。
番組終わって数日でHPを削除するって…。
この番組なら有料でも買うのにな。


TBSラジオ ストリーム終了の反響が止まらない。 - [4k]shikeの日記
リンクされてた。自分のこのブログがいかに内向きなのか分かるなあ。「Davis」が地名かどうか、どこか、すぐに分かるわけないし。

聴診器のおもちゃ

先月近所のローソンに売ってたおもちゃ。最近のコンビニでは聴診器のおもちゃが買える。病院の前のローソンだからか?
聴診器は、1816年にフランスの医師ラエネックが発明したものだ、という説明がありました。
先月、「ラエネック」も有名になったもんだなあ、と思ってました。

2009年3月26日木曜日

三愛モータース パンドラの箱

バイクショップ情報 三愛モータース パンドラの箱: "三愛モータース パンドラの箱":店のおっちゃんがいるのは、ここをけっこう南に下った場所。
けっこう下ると思う。

おっちゃんは、大変話好きな人だった。同志社の工学部出て、エンジン作る会社に勤めたけど、潰れたらしい。で、30年くらい前に中古バイク中心のバイクやはじめて、4トントラックで北海道まで買い出しに行ったりしたらしい。
バイクをぱーっとのってみて、で、現金二万円で、と言ったので、それで決めた。廃車料込み。
値段がつけば良いやと思ってたので全く交渉しなかったけど、さっぱりしてて気持ちが良いなあ。日本と韓国のどっちが勝ってもいいけど、イチローには頑張ってほしいらしい。
帰り、送ってくれました。
オーミナミ富田を知ってた。関西では知られているらしい。

600円のカツ

これ、何やねん。
30円くらいの駄菓子で「カツ」っていってる、ああいうお菓子みたい。

国立国会図書館関西館のランチメニュー。
ちゃんちゃん。

発音記号は19世紀末にはつくられてたけど、日本に入ってきたのは大正後半みたいです。
予想と違って、語学レコードが使われ始めた経緯がなかなか分かりません。もちょっと調べますが、なにかご存じなら、皆さま、何か教えてください。
レコードが語学学習の教材として役立つようになるには、レコードがどういう美的機能を持つようになったからか、を分析したいわけです。

2009年3月24日火曜日

現代芸術って何や?

大航海 2009年 04月号 [雑誌]
B001TIUTTE
1.
[現代芸術]徹底批判という特集だったのでざっと読んでみて、読む前から、「徹底批判」される対象として「現代芸術」は存在している(いた)と前提されているかどうかという点でそれぞれの記事を読もう、と当たりをつけられる程度には、芸術学を学び始めた頃から自分は成長したことは分かったけど、だからといって「ゲイジュツ」についてどう考えたら良いかはまだ明確には分かってないので、あんまし十分成長していないなあ、と思ったりもしました。

2.
ゲイジュツは人間文化の中で高級な事物ではないけど、じゃあどういうものかというと良く分からないのだけど、あんまし悠長に「分からない分からない」とか言ってる問題に答えが出ることはないと思うので、さっさと考えねば。

3.
なんにしろ、「現代芸術」あるいは「美術批評」が今や壊滅したので新しい基準を求めねば云々という、問題設定そのものに共感できない。
「かつてはあったゲイジュツ」に触れてこなかった人々の声が大きくなった、ということじゃないのか?なんで誰も、社会階層の状況変化、とかに触れないんだ?20世紀半ばと21世紀じゃ、かなり違うに決まってるじゃないか。

4.
自分は「芸術学」という問題設定について再考する準備が出来ていないことを確認するきっかけにはなったかな。で、今んとこ、自分は「芸術学」という問題設定を無効化するつもりはないみたい。自分がどう変わるかは分からないけど、多分けっこう簡単に変わる気がするけど、僕はまだ、げーじつは、それが世界の見方を少し変えてくれるものなら良いものなので、コストパフォーマンスという観点で話をしても仕方ない、と考えてたりもする。

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読後に思ったこと。
バナナの叩き売りの声がはじめは「芸能」の文脈で取り上げられ、90年代以降「芸術」に「なる」のであり芸術で「ある」わけではないことを示した後で、「自らの関わっている「芸術」や「音楽」の価値の話になると、無批判的に肯定することから出発してしまうという、そういう事実の中に人間の性のようなものを感じてしまう」とまとめる渡辺裕先生と(だから何やねんとも思うけど)、不勉強なのであまり知らなかった栗原裕一郎の文章が、飛びぬけて面白かった。
この文章、かっこいいね。一文が長いけど。
「べつにアートにかぎったことではないが、中途半端に市場のロジックに絡め捕られてしまった、かつてはハイ・カルチャーであったようなジャンルにおいては、批評の言説なんて、市場に晒されつつも依然として市場からは孤立した閉回路で実質的には価値付けがなされる作家なり作品なりという「商品」に対し、激安の報酬でパブリシティを受け持つジャンルの下僕に成り果てて久しい。だが、その広告文=批評はアピールするべき外部を持っていない。クローズドな回路で決定される価値を、内側へ向けて、それらしい言葉でふわふわとコーティングしてみせる役割しかもはや果たしえていないのである。」(114)


2009-03-21 - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

2009年3月22日日曜日

日常の芸術化-というか、地下鉄で真面目な顔でふざけてる人たちは面白そうだなあ。


「日常の芸術化」(日常生活の一部を芸術と見立てること)も「芸術の日常化」(芸術作品を日常生活の中のものとして制作する(と称する)こと)胡散臭い。(前者は、フルクサスのパフォーマンスとか、(アートと称する)ヒップホップ文化のグラフィティとか、かな。後者はケージ的なアート。ケージにとっては前者は唯美主義に陥る危険があるもの。つまり、げいじつ作品作って、それが「日常生活の一部だ」って言い張るタイプのげいじつ作品。かな。)
で、このImprov Everywhereは、分かりやすい「日常の芸術化」の例だと思うのだけど、面白いな。色んな理屈が述べられてないからかな。
(言われてるのかもしれないけど、僕は知らないからかな。)

ミルコのひかり

ミルコのひかり [DVD]
ルカ・カプリオッティ, シモーネ・グッリー, アンドレア・グッソーニ, アレサンドロ・フィオーリ, クリスティアーノ・ボルトーネ
B00196P8UQ

イタリア映画のサウンド・デザイナーのミルコ・メンカッチという人の少年時代を描いた物語らしいです。
視力を失った人間が音の物語の制作に目覚めていくというお話だけど、音の物語とか障害に関するお話だと思うと、なんだこりゃ、と思います。たぶん。
でもくだらないってわけじゃなくて、むしろ、(お話としてはけっこうご都合主義なところもあると思うけど)けっこう素敵な物語だと思うかもしれません。
暗い場面がほとんどないからですね。
たぶん。

障害は障害だと思うので、障害のある子供たちの手に職を付けさせるべく規律を重視する校長は正しいと思うし、なので、市長とか学生スト団体が「個性の自由な発露」を妨げるという理由でこの盲学校を攻撃するみたいなのだけど、そういうご都合主義な物語が続くと白けてきました。
この映画の筋のポイントの一つは、視力を失った少年が、テープレコーダーを手に入れたおかげで、身の回りの音を録音して素晴らしい(音の)物語を紡ぎ出すようになった、というものだと思うのだけど、そうして作られた音の物語を映画の中で再現するときに、映画のBGM(ピアノとかストリングスとか)をかぶせるのは、これいかに!?と思うし。

でも、全盲の子供たちが楽しそうに活動している場面がたくさんあるのが素敵でした。
自分達で音の物語を作ってみようとしている場面とか。
くよくよしてる描写が、あんましなかったんですね。(たぶん二つくらいしかなかったと思う。)
くよくよしてる暇がない子供たちが描かれてたわけですね。

memo-外食

四条烏丸で不思議な骨格と輪郭を持つ会話を進める人(=妻の友人)と。
僕は「隠れ家的」といった感じの店の雰囲気に反感を抱くタイプなのだけど、ものすごく美味しかった。(というか、別に「隠れ家的」とかは、売りにしてなかった。)(というか、そういうの関係無しに、美味しかった。)
うふふBis - 創作料理、フュージョン(四条(烏丸線))

翌日、奈良市で、最近何回か一緒にスタジオに入った夫婦と。
食遊 鬼無里 - Yahoo!グルメ←ここには入れなかったのだけど、入りたかったなあ、というメモとして。

間に一軒入るのだけど、場所は覚えてるけど、名前を覚えていない。

The WembleyCrown:話するために入ったスポーツ・バーでここでライヴとかできるって場所だけど、フィッシュ&チップスが、フィッシュ&チップスなのにすごく美味しかった。
5月くらいにライヴするらしいけど、自分が演奏できるかどうかはなはだ心許ない。まあ何とかなるだろう。

2009年3月19日木曜日

memo-マキタスポーツ

マキタスポーツ*OFFICIAL WEB SITE*

今書いてる論文の関係で、ずうっと「耳モデル」とか「口モデル」とか考えてて、息抜きに聴いたTBS RADIO 954 kHz|JUNK ZERO エレ片のコント太郎今日の分に出てた。
びっくりした。すげえ。
エレカシとかBzとか奥田民夫「のような」歌を、即座に作って即座にギターで弾く、という芸。
笑う前に本気で感心してしまった。
うむ。

2009年3月17日火曜日

memo-「誠のサイキック青年団」突然の打ち切り

TBSストリームと松本人志の放送室が終わるのはショックだったけど、サイキック青年団は大学に入ってから聞いてなかったので、まあそんなもんか、というだけの感想だったけど、終了が決まっていても突然打ち切り、ってあるんだなあ、と思いました。
口封じ?
高校生の時期の僕を形成したラジオ番組でした。ここ10年以上きいてなかったけど。
すぐに思いつく影響として、僕はこのラジオ番組で、Talking Headsを知りました。
True Stories
Talking Heads
B000CRSEIG
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(cache) 「誠のサイキック青年団」突然の打ち切り

「誠のサイキック青年団」突然の打ち切り

 突然の打ち切りとなったABCラジオの人気番組「誠のサイキック青年団」の司会を務めていた北野誠
 突然の打ち切りとなったABCラジオの人気番組「誠のサイキック青年団」の司会を務めていた北野誠

 タレント・北野誠(50)が司会を務める大阪・ABCラジオの人気番組「誠のサイキック青年団」が16日未明の放送で突然、打ち切りとなった。同 局は、30日未明の放送をもって番組が終了することを発表していたが、大幅に前倒しとなり、誠らパーソナリティーはリスナーに最後のあいさつさえできな かった。同局は「リスナーの方々に、大きな誤解を与えるような表現があった」と説明。何らかの大きなトラブルがあったとみられるが、詳細は明らかにしてい ない。

  ◇  ◇

 1988年4月にスタートし、21年間も続いた番組。突然の終了に、ファンの間に波紋が広がっている。

  16日午前1時に始まった放送では、冒頭から「リスナーの方々からのお便りを調べた結果、(番組中に)大きな誤解を与える表現をしていたことが明らかに なった」などと同局アナウンサーによる“おわびの言葉”が10分間隔で同2時45分の終了時間まで繰り返され、その間ずっと音楽が流れるのみ。番組のファ ンが集うネット掲示板には、最後の放送を聞いたファンが「ソ連の要人が死んだ日のモスクワ放送のようだった」と不気味な様子をつづっていた。

  ABCによると、打ち切りが決定したのは11日の夜。8日の放送が前倒しで最終回となる異例の事態となった。同番組のホームページでも「この点について、 話題で取り上げた関係者の皆さまに、ご迷惑をおかけしたことをおわびいたします」と掲載した。だが、詳細については「お答えできません」と回答を避けた。

 番組は、北野誠と作家の竹内義和氏(54)による、過激トーク&芸能裏情報が人気を呼んだが、93年には歌手・山本リンダ(58)のヌード写真集をこき下ろし、謝罪会見を開く騒ぎも起こしていた。

 28日に大阪市内で予定されていた番組のリスナー向けのイベントも中止しており、誠が所属し、イベントを主催する松竹芸能は「諸般の事情により…としか申し上げられません」としている。

memo-「ハムスター・コントロール」された自律型掃除機「ルンバ」


「ハムスター・コントロール」された自律型掃除機「ルンバ」

その他

2009年3月16日月曜日

memo-Douglas Kahn - Music and Machines VIII / AV Festival 08 on Vimeo

Douglas Kahn - Music and Machines VIII / AV Festival 08 on Vimeo:Dougが動いている映像。懐かしい。英語が分からなくなってきてる…。


AV FESTIVAL 2008 | AV08

おくりびと

おくりびと [DVD]
本木雅弘, 広末涼子, 余 貴美子, 吉行和子, 滝田洋二郎
B001Q2HNOW
歩いていける距離にシネコンがあるので、高の原に来てから、映画館で映画を見る回数がぐんと増えました。
で、コラムの花道でとりあげられてたことがあったはずなので、「おくりびと」に行ってきたのだけど、アカデミー賞取った後なんで、やたら人が多かったです。
ものすごく素晴らしい、とかではなかったけど(最後の父親との件とかいらないと思うし、けっこうご都合主義だと思うし、見習いで月収50万円って…と思うし)、まあ面白かったです。長かったけど。涙腺が緩んできてるみたいだし、最近目が悪くなってきてて目の疲れを感じやくなってきてるのもあって、色んな死人を真面目に提示している場面を見るとジーンと来てました。たぶん僕の場合は、個人的な要因が大きかったと思います。物語の入り方が、主人公がそれまで東京で頑張っていた夢(オーケストラ奏者)を諦めて故郷に帰る、というのから始まってたので。あと親の年齢とか。
この映画は、そういう個人的なシンクロニシティ感と、あと、隣に座ってたガキがうるさかったこと、の二点をずっと覚えてるんだろうな、と思いました。

こんな鬱陶しい映画に連れてこられた小学生のガキは可哀想だし、ガキを連れてきたくせに場違いなところで笑って途中で寝てしまうババアがいたりするので、アカデミー賞をとった映画を見る時は気をつけないといけない。

明日は確定申告提出最後の日なので早起きしなければいけない。

2009年3月15日日曜日

アイフォンとパウダーブラシ

僕はあと二年間、x05htを使わないといけないのだけど、妻が次の携帯をアイフォンにしてた。感圧式じゃないスムーズな動きが素晴らしい。これで音楽聞けるんかな?
で、僕のために、ハムスター用パウダーブラシを買ってきてた。なんでやねん。


静電式ってだけで操作感が全く違う。楽器系アプリは、感圧系じゃとてもじゃないけど操作できないから、しばらくはiPhoneの牙城は崩れないに違いない!
clmemo@aka: 感圧式と静電式 〜「Touch Diamondで考えるスマートフォンの未来」

椿昇、中華料理

京都国立近代美術館に、椿昇というアーティストの展覧会と、その後の「ラディカル・ダイアローグ」という催し事を見に行きました。メインの目的は、その日の講演会の話し相手で、大学の師匠の美術館館長に会って話をすること、だったので、展覧会はおまけの気分でしたが。
なんつうか、久しぶりにアートを見て、面白かったです。
それが何であれ、そして、コストパフォーマンスがどれほど悪かろうと、世界の見方を少しでも変えるならそのアートは正しい、とか、そういうことを考えてたことを思い出しました。
「ラディカル・ダイアローグ」ってのは、椿昇という人のインタビューするんじゃなく、椿昇という人がインタビューするもので、へーっと思いました。「アーティスト」ってなんだ?と思ったので。どうやら、「問題提起する人」としてのジャーナリストみたいな役割を果たす人だったり、思想を表明する一つのやり方としてアート(と呼ばれるもの)を作る人だったりするみたいだけど、"何でも屋さん"らしいです。
展覧会場に、昔の研究室の後輩で、小説の何かの賞をとった谷崎由依という人がいたり、昔、一ヶ月だけこの美術館でバイトしてた時に知り合った人がまだいたり、神戸大の人がいたりしました。人に会うのは良いことです。
で、中華料理屋に連れてってもらいました。
「共訳」というのは大変面倒くさいものであることを知りました。朝の10時から夕方まで三人がかりで二日で22ページで、全部で220ページって…。
元気でいないと、なんか恥ずかしい気持ちになりますな。恥の感覚は忘れた頃に背筋から入り込んでくるので気をつけないと。そんで、少なくとも本人は面白がれることしないと駄目ですな。世界を揺るがす大きなことはしないとしても、しつこく一つのことにかじりついていかねば。あんまり「効率的」とか考え出すと近視眼的でやってられなくなるな、とか。
とか。
そんなこと思ったり、やっぱり思わなかったり。
ま、京都まで出てって良かったです。中華料理屋は、辛かったけど美味しかったです。
人に答えを求めても仕方ないし、そろそろ2009年度の気分にならないといけないし、そろそろ鬱陶しい気分でいるのは終了。
しゅっとした気分でひょうひょうと生活していかねば。

2009年3月11日水曜日

iPhone×Music iPhoneが予言する「いつか音楽と呼ばれるもの」


著者の一人で東京芸大の金子智太郎くんに頂きました。ありがとさんです。
色々指摘したい点はありますが、iPhoneアプリ(音楽系)に対して、多少なりとも人文学的なアプローチをした初めて(?)の本な気がします(たぶん)。
で、何といっても「ワクワク感」があるのが良いですな。やがて、今はまだ何と読んで良いか分からないものも「いつか音楽と呼ばれるもの」になるだろう、って題名だし。
谷口文和くんのインタヴュー、威勢が良くて素晴らしいですね。色々批判は可能だけど、批判するより「幾つかの文脈をつなげて論じてみること」を試みていることを言祝いでおかねばいけませんね。
いや素晴らしい。「…(何か適当な語を入れておこう:若者とか批評家とか何か)…」は、こうでなくっちゃいけない。
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個人的には、楽器ガジェットとかがたくさん出てきても、消費者みんなが制作者となる夢のような未来よりも、新しい種類のゴミのような表現がたくさん生まれてくる未来を思い描いてしまうのだけど、でも、決して、僕は否定的な感覚でいるわけじゃありません。
僕は、ゴミみたいなものでも、新しいものが出てくることにはたくさん期待しています。
なので、ワクワク感が、なかなか素敵でした。

世界はiPhone(かiPod Touch)を使える人と使えない人に二分されるみたいな気分になりますが、あくまでも、この本の著者たちが関心を持っているのは「iPhone的なるもの」(39)だし、今後iPhone以外のプラットフォームに関わっていくのだろうと思います。
僕も「iPhone的なもの」は今後どうなっていくんだろう、ということには関心があります。でも、いつも思うのだけど、1)この話に全く関わりを持たない人はどれくらいいるんだろう? ってのと 2)そして作られる音楽(かつて音楽と呼ばれたもの)はどんなものになるんだろう? とも思います。
やっぱ、PCとかネットを使わず、CDしか使わずMP3なんか使わない人は知人や親戚には結構いるし。統計的には、日本ではもう半分以下みたいだけど。
あと、iPhoneでも楽器ガジェットでもいいけど、それを使って奏でられる「音楽の内容」ってなんだ?それはそんなに楽しいものなのか?とか、ね。どうなんだろ?やっぱ「楽器のカラオケ」ってことかな?じゃ「カラオケじゃない音楽」はずっと残るのかな?
よう分からんな。

眠いな。
今日はもう寝よう。
神戸のお義母さんにもらった葛餅食べて寝よう。

2009年3月8日日曜日

カント感性論の現在

昨日、ちょこまかしてから神戸の妻の実家に行って、色々ご飯食べさせてもらってから、今日の午後、神戸大学で、視聴覚文化研究会/神戸芸術学会の、カント感性論の現在、ってので、コメンテーター役でした。
とりあえず発表をざっくりまとめて、分からないことは分からないと白状して、簡単に、正面からカントのアクチュアリティって何?ってだけ聞いて、そしてあとは会場に任せました。
カントのアクチュアリティなんかねえだろう、カントを経由しなければ分からないことって、そんなねえだろう、と、正直そう思ってたのだけど、会場にいた人たちは、そういうこと言う前に、カントを実際の思考のツールに使ってみる、ということをしていて面白かったです。
新カント派とか、何らかの基礎づけをしようとした人たちはカントを要請するらしい、カントの空間論がどの程度サイバースペースの空間論に応用できるかは分からない、カントは面白いらしい、等々。
ま、発表者の方が、けっこう対照的なしっかりした発表をして、来てくれた人がきちんとした反応を示してくれて良かったです。ありがとうございました。人がいる場所で話せば話すほど、自分の知的怠慢振りを見せびらかしてるような気がしてきたけど、実は本人は対話能力を発揮しようとしてるつもりなのです。中川はあんな感じですが、別に否定的な気分でああなっているわけではないです。今後もああいう方向に向かいたいと思ってます。

と、カントのアクチュアリティに関する発表に関わりつつも、最近の僕の関心は、聴覚文化の形成プロセスにあります。神戸の妻の実家に泊まった後、六甲にあるオルゴール博物館に行きました。この写真です。
ちっちゃいけど面白いところでした。バンジョーとかアコーディオンの自動演奏楽器は動かしてくれなかったけど、自動ピアノと機械式蓄音機は動かしてくれました。オルゴールが主で、その場で音をゼロから作り出すからこそ、オルゴールは口モデルの音響再生産機械なのだけど、オルゴールの再生音を収録したcdがあって、しかもそれが音トビしてて、シュールでした。
ま、僕はそういうことに興味があります。口モデルと耳モデルの音響再生産機械が、けっこう長く併存してたのだな、とか。

そこらへんの最近のアイデアについて、打ち上げで来ていた人に話してみたところ、けっこう考えてたことが整理されたりしてきました。良かった。個人的に落ち込みきっていた二月は終わったから、これからはもう良い感じになるに違いないな。やっぱ人に話してみる/話すことで確かめてみる、ってのは、何より大事だな!


六甲オルゴール館と高山植物園:ここ。
日本全国のオルゴール館:日本中にあるんだな。オルゴールって、面白い代物だなあ…。

2009年3月5日木曜日

memo-あらびき団-キュートン


メモ。面白いから。

2009年3月3日火曜日

TBSストリーム終了

というのは、本当らしい。

TBS会社情報 ニュースリリース
小西克哉・松本ともこ ストリーム

僕はDavisでポッドキャスティング聞き始めて以来だけど、番組自体は7年半続いてたそうです。
世事に関する僕の偏ったニュース源で僕の平日を色々何とかしてくれてきた以上に、僕に、町山智浩を教えてくれた番組なのに。
ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

3月27日(金)で終了らしい。ラジオ番組(というかPodcast)が終了するってだけで、こんなに喪失感を感じるとは。

「我々を取り巻く状況」が原因らしい。ラジオなのにそんなにギャラが必要な人たちだったのか?
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で、昨日、これを見た。
テレビ朝日|報道発 ドキュメンタリ宣言
Law & Practice: "谷口太規弁護士"
Frypan Baby Vol.5
もとき、すげーなー。
司法浪人、1-2年しかしてないはずだしな。
何かが過剰で異常で欠落してるのかもしれないけど、それが「能力」なんだろう。
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あと、もいっこ、ほーっと思ったのだけど、第一回日仏ロボットデザイン大賞というものがあるらしい。
どういうものかは知らないけど、大賞というのは何でも素晴らしい。そういや僕、何かの賞をとったことなんかないな。
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日本の未来は安心だ。
2009年春は自分について色々なことが分かったな。
明日は友達の二人目の娘の誕生祝いに豊中に行くのだ。

ピンポイント天気予報

ninja tools

macromill