2009年3月24日火曜日

現代芸術って何や?

大航海 2009年 04月号 [雑誌]
B001TIUTTE
1.
[現代芸術]徹底批判という特集だったのでざっと読んでみて、読む前から、「徹底批判」される対象として「現代芸術」は存在している(いた)と前提されているかどうかという点でそれぞれの記事を読もう、と当たりをつけられる程度には、芸術学を学び始めた頃から自分は成長したことは分かったけど、だからといって「ゲイジュツ」についてどう考えたら良いかはまだ明確には分かってないので、あんまし十分成長していないなあ、と思ったりもしました。

2.
ゲイジュツは人間文化の中で高級な事物ではないけど、じゃあどういうものかというと良く分からないのだけど、あんまし悠長に「分からない分からない」とか言ってる問題に答えが出ることはないと思うので、さっさと考えねば。

3.
なんにしろ、「現代芸術」あるいは「美術批評」が今や壊滅したので新しい基準を求めねば云々という、問題設定そのものに共感できない。
「かつてはあったゲイジュツ」に触れてこなかった人々の声が大きくなった、ということじゃないのか?なんで誰も、社会階層の状況変化、とかに触れないんだ?20世紀半ばと21世紀じゃ、かなり違うに決まってるじゃないか。

4.
自分は「芸術学」という問題設定について再考する準備が出来ていないことを確認するきっかけにはなったかな。で、今んとこ、自分は「芸術学」という問題設定を無効化するつもりはないみたい。自分がどう変わるかは分からないけど、多分けっこう簡単に変わる気がするけど、僕はまだ、げーじつは、それが世界の見方を少し変えてくれるものなら良いものなので、コストパフォーマンスという観点で話をしても仕方ない、と考えてたりもする。

--------------------
読後に思ったこと。
バナナの叩き売りの声がはじめは「芸能」の文脈で取り上げられ、90年代以降「芸術」に「なる」のであり芸術で「ある」わけではないことを示した後で、「自らの関わっている「芸術」や「音楽」の価値の話になると、無批判的に肯定することから出発してしまうという、そういう事実の中に人間の性のようなものを感じてしまう」とまとめる渡辺裕先生と(だから何やねんとも思うけど)、不勉強なのであまり知らなかった栗原裕一郎の文章が、飛びぬけて面白かった。
この文章、かっこいいね。一文が長いけど。
「べつにアートにかぎったことではないが、中途半端に市場のロジックに絡め捕られてしまった、かつてはハイ・カルチャーであったようなジャンルにおいては、批評の言説なんて、市場に晒されつつも依然として市場からは孤立した閉回路で実質的には価値付けがなされる作家なり作品なりという「商品」に対し、激安の報酬でパブリシティを受け持つジャンルの下僕に成り果てて久しい。だが、その広告文=批評はアピールするべき外部を持っていない。クローズドな回路で決定される価値を、内側へ向けて、それらしい言葉でふわふわとコーティングしてみせる役割しかもはや果たしえていないのである。」(114)


2009-03-21 - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

0 コメント:

ピンポイント天気予報

ninja tools

macromill