2008年5月29日木曜日

マイケル・ムーア『シッコ』

シッコ
マイケル・ムーア
B0011XVLDU

町山智浩は関係なく、個人的に色々なことを思い出す。
色々な不幸が描かれていて、他人の不幸を感じずに生きていくことはそんなに難しいことではないんだろうと思う。じゃないと説明がつかないことが多過ぎる。
なので皆様、USAに行く時は、できるだけ高額の海外保険を選びましょう。
僕は入れないと思うけど、AIUなら無制限保証(治療費のみ、かな?)もあるはず。


マイケル・ムーアの新作『Sicko』は「ビョーキ」という意味 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

2008年5月28日水曜日

「スタンバイ」か「休止状態」

今日知った知識。
忘れないようにメモ。

恥ずかしながら、PC使い始めて約10年、初めて「スタンバイ」とか「休止状態」を使うと便利なことを知った!
こんなに起動が早いなんて!!

これでもうヤフオクで「モバイルギア」を検索することはなくなるかもしれない。


Windows XP Professional : バッテリを節約するための、休止状態およびスタンバイ: "Windows XP Home Edition またはユーザーの簡易切り替えを有効にした Windows XP Professional を使用している場合、[シャットダウン] メニューには [スタンバイ]、[電源を切る]、[再起動] の 3 つのオプションが示されます。Shift キーを押すと、[スタンバイ] ボタンは [休止状態] に変わります。"


左に置いてあるノートパソコンで試してみてるのだけど、すげえーーーーーーーーーーー!
二つ授業が連続してたらスタンバイ使って、間が空いてたら休止状態使えば良いんだ!

というか、家からは「休止状態」で持っていけば良いんだ!
というか、デスクトップも、スタンバイか休止状態で良いんだ!

すげええええ。


その他、眠れないままに最近気になったネタたち
「キネマルネッサンス あ~や城」:GyaOだけど、鳥肌実(Firefoxでは上手く見れないじゃないか)を生放送で出演させたもの。どきどきした。また演説に行きたい。

65歳で生まれて初めて「音」を体験した夫婦 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記:これ、見たい。日本で見れるかな。DVD買って英語で見ないといけないだろうか。→HEAR and NOW:公式ウェブサイト

Super Bon! » Blog Archive » I didn’t know you could do that in Musicology:音楽学というのはヴァラエティ豊かなものになってるそうです。こういうことを知ったら「じゃあ日本では音楽学に対してどのようなスタンスを取っていることにすれば自分にとって特なのだろうか。」という風な思考回路の動かし方を覚えたのは、まあ「しょうもない」かもしれないけど、でも、ナイーヴに「音楽学というものの未来は面白そうだ」と思うだけなのよりは随分ましになったとも思うので、ココロザシは忘れないようにしておかねば。「色々できそうだ」という期待感というかワクワク感というのは不可欠なものだと思うので、ナイーヴに思うほうが、(略)よりは良いんだろうと思うけど。

CDを電子レンジでチンしてみる : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン),

[N] 「サザン」のシングル売上、総合1位の曲は?

労働者階級の女 : パン屋でライヴ:これも宣伝。べえがライブするらしい。とても行ける気はしないけど。奈良の行きにくい場所っぽい。どこだ、これ。結婚式以来一度も会ってない人、というのがたくさんいるけど、べえは二回くらい会ったかな。うん、きっと元気に違いない。

[N] 「Hang Drum」を演奏している動画

2008年5月24日土曜日

SCA / IRONIES OF DEATH

SCA / IRONIES OF DEATH (上) ~海へ行くつもりだった~ : RECORD CD ONLINE SHOP JET SET
SCA / IRONIES OF DEATH (下) ~永い眠りを求めて~ : RECORD CD ONLINE SHOP JET SET
ものすごく肝心なことを書くのを忘れていたけど、このポストは、暇な時にできるなら、何となく目に付いたものは何でも宣伝しておこう、という僕のポリシーに則って、スカちゃんがCDを売ろうとしているので勝手に宣伝しておこう!と思った宣伝のためのポストです。別に、Oscar Pistoriusに関する情報を広く募集したい、と思ったポストではありません。スカちゃんは、20か21のくせに、80年代の日本の音楽が大好きで(吉川晃司とか)、人と一緒にはご飯を食べない、というポリシーを持っているらしい人です。京都出町柳レンタサイクルかりおんとかその他のどこかに出没してる人です。
ということで、数日前に、BAKUという人はひっぷほっぷギョーカイの内輪で「ちょいと」有名らしいってことを知りました。YouTubeで見たけど、どうやら(以下略)。
「ギョーカイ」というカタカナは便利ですね。


色々詰め込み過ぎみたいなテクスチュアにも関わらず、けっこうきっちり曲を構成して展開させていけるんだなあ、と思った記憶がある。たいていの人間は、尖ってるだけじゃ、年とったらつまんなくなると思うけど、尖ってるだけじゃないと思うから頑張れー。
たくさんつめこむ、とか、リズムトラックは手打ち(だった気がする)とかは、計画通りらしい。でもそういうことを意図的にすることに意味を持たせているってことは、「BAKU」とか「キリコ」というのが分からんとあんましよく分からないのではないだろうか。聴き手と「コンテクストを共有すること」(「聴き手とコンテクストを共有しようとする」とか「聴き手を選ぶ」とか)ってのはセンスかもしれないので、まあ何とも言えんけど。
そんでも二枚分の音源をきっちし作りあげるというのが「才能」なんじゃないかと思う。才能ってのは何かの過剰じゃなくて何かの欠如だと思うので、たぶんスカちゃんならNomakのように、じゃぱにーず・おーがにっくな音楽も作り始めたりするかもしれないに違いない。

スカちゃんであってスガちゃんじゃないんだな、これが。
京都在住になってまだ二年たってないんじゃねえのか?
BAKUってのは、これじゃないに違いないことは分かるぞ。






全然関係ないけど、みんなどんな義足なのか触ってみたいに違いない。
「どの程度までの"身体改造"を認めるか」とかいう問題なら、「応用倫理学」が扱う問題として適したものなんだろうけど、「応用倫理学」にとって適した問題だからといって、それは「現実」の判断とか基準にはあんまし関係ないだろう。あまり即効的に「現実」に役立つことを考えても仕方ないと思うので(ガクシャが考える程度のものなんかがそんなに役立つものであるはずがない)、それはそれで良くて「考えること」こそが面白いのだと思うけど、でもなあ…、くらいのことは思う。少なくとも、居酒屋でこの義足の話をする時に使える程度のものの考え方をツールとして欲しいもんだ。何年か前、加藤ひさたけが朝のワイドショーか何かに出てて、シンプルなコメントをしてて面白かったことを思い出した。
ま、いっか。

2008年5月23日金曜日

喫茶ゴゴ

喫茶 ゴゴ | グルメサーチ | 京都・滋賀のグルメ・ヘアサロン・エステ・イベント情報 Web Leaf良いとこでした。でも15時に閉店らしい。でも木曜日だけ五時まで空けてくれるのは、マスターが老人介護かヘルスケアか何かから帰ってくるのを待つかららしいです。

2008年5月20日火曜日

CDのグルービーな再利用方法を発見! : Gizmodo Japan

CDのグルービーな再利用方法を発見! : Gizmodo Japan: "CDをレコードとして再活用しよう":これ、面白そう。
でも、どんな音がするんかな?音は面白いのか?


大学雑用で、ここまで評価されない働き方をするのは、今日が最後(5/20/2008: 20:04)。

2008年5月14日水曜日

感動

電話をもらった(時は電車の中にいたのでかけ直したけど)。
ここ一年ほどの人間関係のギクシャクのいくつかが解消したような気になった。(そもそもそのギクシャクの大半は僕の被害者意識とか負け犬意識の産物だ、ってのに気付いた。)(決して僕の対人関係の全てが改善したわけではないことさえ忘れてしまいそうだ。)
直截な言葉とはなんと力強いのだろう。才能かな。感動した。ごめんなさいでした。ありがとう。
しかしアドルノ以降の批判理論を経由した身として、そんなに簡単に「直截な言葉」なるものに感動してて良いのだろうか。

気分が良いから、今日はタラコを買って帰ることにしよう。

2008年5月11日日曜日

メディアアートの教科書

メディアアートの教科書
白井 雅人 森 公一 砥綿 正之
4845908174

白井雅人・森公一・砥綿正之・泊博雅(編著) 2008 『メディアアートの教科書』 東京:フィルムアート社。
岩城覚久くんに頂きました。キーワード解説を書いているそうです。去年の仕事なんかな。ありがとう。
日本語で「メディアアート」(なぜ「メディア・アート」じゃないのだろう?)と呼ばれるような芸術作品はあるけど、それがある程度確定した領域のものとして語られ、その歴史的背景とか、現在それらが置かれている状況とか省かれて語られると、うさんくさいものでしかないと思うので、「メディアアートの教科書」ってうさんくさいなあと思ったけど、予想とは違いました。
この手の領域の芸術作品に初めて触れようとする人にとって、良い教科書だと思います。「メディアアート」と呼ばれるようなものの「美術史的背景」としての様々なアヴァンギャルドの系譜とか、技術的背景とか、網羅的である必要はないけど、短めの分量でまとめてくれてあるので。メディアアートの音楽史的背景の記述が単純化された「ゲンダイオンガク」史でしかないのは納得し難いけど、でも、初心者にとっては必要な知識だと思います。
「第一章 メディアアートの流れ」と「第二章 メディアアートの諸相」と第五章の年表とキーワードを便利に使おうと思います。



この本に限らず、最近ますます「この手の」記述を読んで違和感を感じるようになってきた、という話。
結局、「芸術学」が語れるのは、「自律したアートの歴史」とか自閉した芸術史に過ぎないのかな?「芸術学の一部」なのか「芸術学」なのかは分からないけど。やっと「芸術学の呪い」から解き放たれてきた、ということかもしれない。(それは必ずしも良いことではないかもしれないけど。)
そんなこと考えるようになったのは、最近「自分の専門領域は、「ゲンダイオンガク」じゃなくて『耳と音が関係する分野』と言い張っておくことにしよう」と考え始めたからかもしれないです。それが具体的にどういうことかは今後考えていくとして、まずはでかい口叩いて後から辻褄合わせる、というのが正しいに違いない。


ちょいと気になったこと
テルミンの「発明年度」は文献によって記述が一定していないので(前身の機械が発明された年、テルミンの働いている研究所で公開された年、クレムリンで公開された年、等々のうち、どれにするかで異なるので)、僕は「テルミンの発明年度」の記述が少し気になるのだけど、この本では1919年でした。

最近の僕の中での流行
昭和な歌謡曲たち。懐かしい、と思うけど、流行した年を考えると、本当に「懐かしい」ものより昔のものの方が多くて、最近初めて聞いたものが多い。こういうジャンルもののコンピレーションとしてCD10枚組みとかでリリースされないだろうか。「JPOP」には興味ないけど、昭和な歌謡曲のためにならカラオケに行っても面白いかもしれない、とさえ思いました。別に他の人と全然違うつぼに入っているわけではないので、人に言っても仕方ないのだけど、僕は今までこういうテイストにはほとんどはまってこなかったので、大変新鮮です。「最近好きな音楽は、歌謡曲です。」

今日の一曲

この二人は姉弟。
昭和歌謡大全集 (幻冬舎文庫)
村上 龍
4344401255
この本に刺激された。

よう似てる。

今日思ったこと
正直、午後の大半はその面白さが全然分からなくて面白くなかったけど、最後の10-20分ほどが劇的に面白かった。無礼な人と礼儀正しい(というか"普通"の)人の、礼儀の基準とか学会での行動基準とかが違ってちょっとしたギクシャクがあって、まあ別に僕はどっちが正しかろうとどうでもいいのだけど、そういうギクシャクがあった当事者ではなく、同じ会場にいた別の学部生が、激昂して、司会がそれを適当にかわしたり、なだめたり、怒ったり、ギクシャクの当事者がその学部生の怒りに乗っかって司会者に突っかかったり、等々等々。
礼儀正しさの基準とかどっちが正しいかとかはどうでも良いのだけど、どうやら僕は、何でもいいからそこでごちゃごちゃが起きたら嬉しくなることに気付いた。
そう、僕は、ゴタゴタが好きらしい。はっきり意識して気付いてしまった。
その学部生とその学部生が突っかかっていった司会者の両方を応援するために、もう少しで拳で机をたたき出すところだった。
僕はゴタゴタが好きらしい。
ただし他人のゴタゴタ。
これ重要。


日本記号学会第28回大会「遍在するフィクショナリティ」 - キリンが逆立ちしたピアス
短信: 日本記号学会第28回大会「遍在するフィクショナリティ」
Hatebladder - 日本記号学会第28回大会「遍在するフィクショナリティ」
2008-05-10 - ひびのこと
:あそこで起きてたクスクス笑いの原因は、セクシュアリティに関する基本的な論件や常識程度のことが踏まえられていないからじゃないと思いたい。そこまでバカばっかじゃないだろう。
:ああいう「BLなんて十代で卒業すべきだ」とか「ゴスロリで大学に登校する学生は痛々しい」とかいう発言が面白かったのは、自分たちがマジョリティであることを確認できたという安心感とかじゃなくて、データベース消費型というか専門分化に過ぎるというかそういう意味でオタクっぽい議論しか行われていない状態を、そういうバカな発言をしてみせないといけないくらい頑張って司会者は崩そうとしているけど、どうやら多分徒労に終わりそうだってのが見えたからじゃないのか?僕はそれが面白かった。
:だからといって、勝手に被害者意識を持ちやがる奴は鬱陶しいとかは全く思わなくて、そういう発言を不愉快に感じる人はたくさんいるし、それはもちろん「正しい」と思う。
:自分とシンポジウムにいる人間たちの視線を、自分と彼ら/彼女らに見える領域の外側へと触発するためには、「誤解」されがちな「BL」とか「腐女子」とかはとりあげなければ良いのに、と思いました。「不適切」云々という判断基準で考え始めると(「BL」とか「腐女子」とかはそういう基準で考えるべき論件なのかもしれないし)、USA的なPCがどうしたこうしたの議論になるかもしれなくて、他の議論も不自由な気分になるかもしれないじゃないか。
:まあとにかく、5/10/2008に、僕はゴタゴタが好きだ、ってことを自覚した。


日本記号学会。 - 0007 文藝檸檬
日本記号学会(2)。 - 0007 文藝檸檬
日本記号学会(3)。 - 0007 文藝檸檬
2008-05-13 - vivement mercredi!
研究会日乗
日本記号学会大会「遍在するフィクショナリティ」 - 再イオン
続・舞台裏日記:記号。 - livedoor Blog(ブログ)
:境界線が曖昧だからそこを手探りで議論しあっていく云々とか言ってるけど、だからって大したことができていたようには見えなかったのだけど、何してたんだろ?「ジャンル論」じゃなかったのか?
:私見では「守られるべき文化←→BL」みたいな潜在的なイデオロギーの対立図式があったかどうかは問題ではなかったと思うので、この「両者」の立場は、対立軸として噛み合わないと思う。司会者側は、BLが「ブンカ」かどうかを議論するつもりはないだろうし「守られるべき文化」を守ろうとは考えていないと思うので、「司会者側がBLをブンカとして認めないこと」を非難したとしても、大して生産的な議論にはならないと思う。
:というか、背後に文化的な階級意識がある、という言い方は、人を非難するのに便利な図式なんだろうなあ。だから、「BLなんて十代で卒業すべきだ」という発言をすれば、簡単に、そういう階級意識を持つ存在として表象させられてしまうのだろうから、やっぱBLの話はしなければ良かったのではなかろうか。
:その場の状況をあまりきちんと把握しないままに評価したり非難したりする、というのは、何だろう?「評価したり非難したりすること」というのはある種の快楽なのかもしれない。
:まあ、人を責める言葉が発せられていても、もうあまりたいして面白そうなことになりそうな匂いはしないから、もう検索するのはストップ。あと、誰がどんな風に収拾をつけたのかは、噂話で入って来るに違いない。


噂話じゃなくMLで入ってきた。これでケリが付かなかったら、もうグダグダ感しか残らないだろな。
吉岡洋:何でもないことの幸せ
:「何でもないことの幸せ」だけでは生きてはいけないけど、「何でもないことの幸せ」を否定することは難しいと思う。それに、「何でもないことの幸せ」をめぐって生産的な議論を行うのって、どうするんだろう?
:死にかけた経験は「何でもないことの幸せ」を経験的に身体に教え込んでくれるものだったけど、そのことを思い起こさせる文章というものは、なぜ、どのようにしたら、産み出せるんだろうか?これは「書くことの技法」程度の問題なんだろうか?

あと内輪な別件:5/14/2008に削除
(自分が被害者意識みたいなのにへこまされてたり精神的に弱ってる時に自分以外の人間に悪意を向けて陰口叩いたみたいな文章だったので削除。陰口叩いてたのは自分だった。しかもオンラインで。反省。
(でも、ブログには、人のせいにしないものなら何でも書いておいたら良いのかもしれない。思いもよらない反応がある時もあるので。)

なんにしろ、あんまし上手く説明できないけど、中学、高校、大学、と、体育会系的な上下関係に(上の立場としても下の立場としても)うまく入り込めた試しがない。

2008年5月9日金曜日

日本戦後音楽史研究会(編)『日本戦後音楽史 上・下』

日本戦後音楽史 上 1945-1973
日本戦後音楽史研究会
4582219683

日本戦後音楽史 下 1973-2000
日本戦後音楽史研究会
4582219691

僕はこの本を使う必要に迫られていることを思い出したのであった。

「はじめに」と「あとがき」にあるように、歴史とは事実の収集ではなく歴史家の解釈であり、それゆえ解釈の余地はまだ多様に残されている。
ならば後進の身としては、1000ページ以上使って55年間を記述した『日本戦後音楽史』という先達の成果を尊重しつつ、新しい成果を生み出すべく努力をすることが必要だ。
なので、一番注意しなければいけないことは、この「歴史」はこの「歴史」を『日本戦後音楽史』と命名する視点から書かれていることだ。

『日本戦後ゲンダイオンガク史(ただし前衛音楽寄り)』で良いじゃないか。
「ポピュラー音楽」にほとんど全く触れていないじゃないか。
音楽が社会的状況と無関係ではあり得ないという認識を踏まえて、ある時代の社会的歴史的状況とその時代の「日本の前衛音楽」の動向との関係の考察に重きを置いてくれているけど、その時代の「日本の前衛音楽」が置かれていた同時代的状況については、考察してくれていないじゃないか。

しかしまあ10人の共著で通史を書くって、本当にすごいと思う。
生半可な努力でできることじゃあるまいし。
学問とはいったいなんだ?と悩んでみよう、と思ったのであった。

2008年5月8日木曜日

音律と音階の科学とは何か?

0.
 ブルーバックスといえば、数式やグラフを見たくない文系人間にも色々な科学的な知識を易しく教えてくれるシリーズだ。なので、僕が、この本はきっと「ピタゴラス音律→純正律→ミーントーン、ウェル・テンパラメント→平均律」(54)という「音律」なるものの作られ方、特に平均律の作られ方について、易しく解説してくれる新しい教科書になるに違いないと思ったのも無理は無い。結論から言えばそれは間違いで、しかしかわりに僕は、「音律」に拘りすぎると「音楽」を忘れる、という美辞麗句のようなもの(?)を思いついた。

音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか (ブルーバックス 1567)
小方 厚
4062575671
小方厚(おがたあつし) 2007 『音律と音階の科学 ドレミ…はどのようにして生まれたか』 ブルーバックス 東京都:講談社。

出たばかりの頃に本屋の店頭で見かけてスルーしてたのだけど、TBS RADIO 小西克哉 松本ともこ ストリーム : 4/24(木)で取り上げられていたのを聴いて買ってしまったのだ。ストリーム恐るべし。あと、「音律に関する教科書」は、藤枝守『響きの考古学』の二冊かな?

響きの考古学 増補―音律の世界史からの冒険 (平凡社ライブラリー ふ 20-1)
藤枝 守
458276603X

藤枝守 2007 『響きの考古学 増補―音律の世界史からの冒険』 東京:平凡社ライブラリー。僕が持ってるのは、1998年に出た音楽之友社出版のものだけど。

 「音律の仕組み」は数学的に難しいものなので易しく解説するにも限度があるのかもしれない。しかし、もっと易しいものは無いものだろうか。

1.
 ともかく、一つ確信したことは、平均律の合理性を語るにせよ、その不純性を強調して純正律の"美しさ"を語るにせよ、「音律の話題を強調する論述は、"音楽"について"協和と不協和"という軸でしか語らない傾向がある、つまり視野が狭い。」と言えるだろうということ。
 音階の協和と不協和でしか音楽について語らないこの論述が持つイデオロギーは、最初に出される「音楽はデジタルだ。」という断定だろう。この手の主張に対してケージ的に反論すれば、問題は「協和か不協和か」ではなく「楽音か未だ楽音となっていないノイズか」だ、という反論になる。つまり、音楽とは決して常にデジタルな音と音との組み合わせ(離散的な音響関係)ではない、音とは連続的なものだ、という反論が可能だろう。
 また、音律重視派やケージ的な反論に対して、「音楽ではない音を用いる芸術」の可能性を主張するダグラス・カーン的な反論を試みるとすれば、問題は「楽音かノイズか」ではなく「結局のところノイズを楽音に回収するという作業を継続することで"アヴァンギャルド"でい続けようとするアヴァンギャルド音楽の制度的な戦略か、あるいは、音楽ではない音響芸術の可能性か」などの二択になるのかもしれない。これは制度的な意味での「音楽」を問題とする場合に可能な反論なんだろう。
 もしくは、音律重視派やケージ的な反論に対して、あくまでも「音楽」の立場から反論することのほうが容易だろう。つまり、あらゆる種類の音楽にとってその音響関係こそが最大のポイントだとは決して言えない、という反論が可能なのではないか。(日常的な音楽経験において、音響関係の聴取は当然低くはないけど、決して100%ではない。Perfumeの音楽の音響関係を聴取だけで面白いわけないし、ろけんろーるというものの魅力のかなりの程度は、そこにまとわりつく様々な種類の今やほとんどクリシェになってる物語―せっくすどらっぐろけんろーる、とか―だろう。)

 つまり、「1.デジタルな音と音との組み合わせ(離散的な音響関係)だけが音楽ではない。」し「2.デジタルな音でないにしても、音響的側面だけが全ての音楽にとっての最大のポイントとは限らない」だろうし、つまり「3.(コンセプチュアルな音であろうとも)音は音楽が成立するための必要十分条件だろうとは思うけど、常に最も肝心な存在条件とは限らない。」ということが言えるのではないか。


2.
 ということを、音楽を音律の問題に還元して語る著述の視野の狭さと対数とか出てくる解説の難しさに腹を立てて、この本とは逆の方向で音楽について考えてみよう、と思って考えました。
 結局、この本の「主張」は205-208を読めば分かります。
 平均律の心地よさの合理性の証拠として心理学的な実験をあげているのだけど、それは何だか循環論法ではないかとも思いますが、まあ、それはいいです。
 岡田暁生『西洋音楽史』の読み方は間違えてると思いますが、13行分しか言及されていないし、ほとんど関係ないので、それもいいです。

 とはいえ勿論、この本の肝心な点は、「主張」なんかじゃなく、音律と音階の科学の解説です。
 対数出されるともう分からん。僕には藤枝守『響きの考古学』でぎりぎりだったのだな。

文部庁長官

文部庁長官様(これで漢字があってるかどうかは知らない)が時間を変えていらっしゃったせいで、20分ほど、秋野不矩展を見て時間を潰してるのだけど、全く受け付けないタイプの絵だ。常設展のほうが面白い。

鳥居みゆき ハッピーマンデー

鳥居みゆき ハッピーマンデー
鳥居みゆき
B0013DGUZM
気付いたら、妻が買ってた。
我が家で唯一のお笑いのDVDのはずなのに、と思った。

2008年5月7日水曜日

死ぬまでロックすること

音楽を聴いて感動して泣きそうになった。
前にそんな経験をしたのがいつかは覚えてないけど。何年前かな。
色々考えるのはもうちっと落ち着いてからにするとして、この映画、日本で公開してくれないかなあ。

僕の情報ソースとはけっこう限られているのだけど、ここから知りました。

「千の風ナンタラ」じゃなくてロックを合唱する老人たち:で、僕が知ったのはコラムの花道経由。
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:予告編


:Young@Heart Chorus: Walk on the Wild Side:これ、てんけーてきな「ロック」じゃないと思うけど。


Brokeback Mountain___ブロークバック・マウンテンの挿入歌。

Young at Heart chorus sings Golden Years:これ、良かったな。
→埋め込みは出来ない。ここ

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Young at Heart Chorus | Celebrating 25 Years of Unpredictable Art at Home and Abroad:HPらしい。

Young at Heart Chorus | Merchandise:アマゾンでは買えないじゃないか。

CD Baby: YOUNG@HEART CHORUS: Mostly Live:視聴できる。

ピンポイント天気予報

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