2008年3月8日土曜日

キーボードを買った。

キーボードを買った。メールを書きすぎて右手の人差し指が痛くなったのかもしれないと思ったけど、そりゃ、博士論文書いてた時の方が、たくさんキーボード叩いてたはずで、何にしろ、これ、7年ぶりの買い替えとかになるはずで、画期的に使い易くなった。
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最近ずっと過去の『音楽芸術』で「ライヴ・エレクトロニック・ミュージック」の受容状況を調べているのだけど、やっと見通しが立ってきた。僕は、実体としての「ライヴ・エレクトロニック・ミュージック」なるものの受容状況を詳細に網羅的に調べたいわけではなくて、大文字の「音楽」が分裂していった状況を浮き彫りにしたいのだけど、だからといって、『音楽芸術』しか調べなかったら、かなり偏った片手落ちな調査、という印象になるのかもしれない。材料の調理法次第で違うのかもしれないけど、まだ扱い方を決められるところまでは調べられていない。
ま、「ライヴ・エレクトロニクス」というものは、1968年に一柳慧が帰国した時以降に(ロックフェラー財団からのグラントで、1967年にNYにいた)「輸入」しようとしたものらしい。もっと前に言葉だけでも出ていた気がしたけど、見つからない。
「ライヴ・エレクトロニクス」というものは、ケージが、1962年に日本にジョン・ケージ・ショックを与えた時の《0'00''》とかがそうなのだけど、でもその時は、ケージの「偶然性やら不確定性」の"思想"の紹介で手一杯で「ライヴ・エレクトロニクス」の紹介はなされていない。
また、電子音楽の発展形は「コンピュータ音楽」だったので、電子音楽の発展形としても受容されていない。

ここらへんの経緯はもうちょっと調べて整理していかないといけないけど、目的は、そうした受容状況に「音楽の分裂」を見出すこと、ってのを忘れないこと。
僕は、(例えば)「ライヴ・エレクトロニクス」という音楽の価値を高めるべく研究してるのではなく、(例えば)「ライヴ・エレクトロニクス」とその他の音楽たちを適当な(adequate)やり方で(区別して)受容するあり方を提出するべく、研究していることを忘れないこと。
目的は、ある種の音楽の価値を高めること、ではなく、幾つかの種類の音楽を受容するあり方(とそれらを取り巻く言説構造)を整理すること、というのを覚えとくこと。
じゃないと色々迷ってしまいそうだし、「ライヴ・エレクトロニクス」なんかには興味がない人には興味がもたれない言葉しか語れないままだ。

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