パパ・ド・ウルス・丘の上食堂 - クチコミ - 高の原 - Yahoo!グルメ: "UR賃貸住宅(公団住宅)のお店":高の原は、中の上みたいな大きな家に住んでる人が多いベッドタウンみたいで子どももやたら多いのだけど、なぜか、住宅街のど真ん中にパン屋さんとかカフェとかレストランとかがやたらあります。あと、なぜか、美容室がたくさんあります。
それぞれの店が成り立つほどの数のお客さんが来るとは思えないので不思議です。
あと、郊外型大型ショッピングセンター(つまりイオン)に行くと疲れる理由は、けっこうな音量のノイズがずっとあるからだ、ということに気付きました。
ということで、礼服というものは、結婚式ならストライプがあってもいいかもしれないけど葬式は真っ黒じゃないといけなくて、あと、三つボタンだと仕事っぽいので二つボタンが良いそうです。
ネクタイとシャツは買ったので、あと、親族用の御祝儀袋を買わないといけません。
どこで買えるかが分かりません。
2008年3月30日日曜日
パパ・ド・ウルス・丘の上食堂 - クチコミ - 高の原 - Yahoo!グルメ
2008年3月29日土曜日
パリ、テキサス
パリ、テキサス デジタルニューマスター版
ハリー・ディーン・スタントン ヴィム・ヴェンダース
Paris, TXは、どうやら、普通に人が住んでる町みたいです。
明日に備えて、車とらじろうのではなく、「ロード・ムーヴィー」を見たのだけど、すごい映画でした。
1.テキサスは広いらしい。
2.煮詰まったら遠くに行きたくなるらしい。
3.弟夫婦は大変。
4.なんだかよく分からない時は「映像美」という言葉を使うと便利。
5.でも、とてもきれいな映像だった。
等々を学びました。
もちろん、映画から何かを学ばなければいけないということはないのだけど。
知ってる中では、グランド・キャニオンからフェニックスに戻る時の風景が一番似てるけど、でも、「あめりかの砂漠」はもっと広いとこがあるんだろな、と思ったのでした。
2008年3月28日金曜日
1860年に記録された声
1857年にレオン・スコットが作ったフォノトグラフ(phonautograph)-音声を視覚的に記録する器具-に記録された、1860年4月9日の歌声が、アメリカの「audio historian」によって再現されたそうです。
ウェブ魚拓のリンクです。
これとこれ
元はNYタイムズのこの記事-"Researchers Play Tune Recorded Before Edison"だけど、ログインが必要かもしれない。
で、こういう記事があることを知ったのは、元記事にコメント寄せてるジョナサン・スターンのブログの記事から。
あんまし歌声にはきこえないけど、David Giovannoniさんによれば、1853年や1854年の記録とは違って、完璧に「声」にきこえるものなんだそうです。
「音を視覚的に記録するパラダイム」と「音を聴覚的に記録するパラダイム」の相違を説明をするきっかけになるかな、と思ったけど、ま、とりあえず、分かりやすく珍しいな、と思いました。
ふーん。
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日本語訳があった。
フランスで行われた世界初のレコーディングが再生された[前編]
フランスで行われた世界初のレコーディングが再生された[後編]
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初音ミクが歌ってた。
CloseBox and OpenPod > 世界最古の歌声が見つかったので初音ミクにうたって�
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初音ミクとデュエットしてた。
CloseBox and OpenPod > 148年前の歌声と初音ミクが時空を超えてデュエットした
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世界最古の録音が怖すぎる件(動画) : Gizmodo Japan(ギズモード・ジ�
世界最古の録音音声、最新技術でよみがえる 国際ニュース : AFPBB Ne
Googleアラートは便利。色々見つけてくれる。
でも日本語記事はこの程度なので、そんなに注目を集める記事ではないらしい。そりゃそうかも。
フォノトグラフは音響再生産を目指していたわけではない、ということが、全く説明されていないから、これじゃあ、スコットは、単に蓄音機を発明し損ねた人でしかないじゃないか。「エジソンのフォノグラフは音を視覚化する器具としては失敗作だ」という視点があったこと、という説明がない。
その程度の説明を入れてもそんなに文章の量が増えるとも思えないけど…。
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Earliest recordings preceded Edison's - Los Angeles Times:LAタイムズの記事
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FirstSounds.ORG:1857年の音声記録があったけど、何にも聴こえない。
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「フォノトグラフ」についてのまとめ情報 - BIGLOBEまとめんとす
2008年3月26日水曜日
博士学位取得とか最後のご奉公とか一年以上ぶりのライブに向けた練習とか
24日に「京都大学博士(文学)」(こういう風に書いて欲しいらしい)の授与式があって、僕は行かなかったので、翌25日に教務で学位記をもらいました。卒業式があったらしく、めっきり春めいた陽気の中でたくさんの卒業生がうろうろしてたけど、お役所仕事の残額処理中の僕は、予算残額が突然変わりやがったので、会計掛と大学生協の間でおたおたどたばたしてました。
もう三月なのでバイト代も出てないけど、最後のご奉公と思ってやってます。そのうちきっと僕は報われるに違いありません。
で、今日は、お役所仕事のために、交通費より低い残額をゼロまで執行するために大学まで行ってきました。
なんつうか、まだ前期も始まってないのに疲労感が強いです。時間的には茨木時代とそんなに変わらないはずなのだけど、近鉄→京阪の乗り換えにまだ慣れてないのかもしれません。
ところで、昨日、25日に、一年以上ぶりに、人とスタジオ(出町柳のスー)に入って、演奏しました。
ノー・プランでいくことだけが決まってるみたいな気がするので、4/18(金)、どうなるのか、まだ何とも分かりません。別に誰も「達者な」演奏するわけじゃないみたいだけど、まあ、なんとか楽しみたいと思っています。
なので、今日は帰りにダイソーに行って手品セットでも買っておこうか、と思ったのだけど、ドラム・セットの後ろで手品しても映えないに違いないので手品はなしにして、駄目なら駄目で他に使えるかもしれないと思ったので、クラッカー買いました。
が、そんなもの鳴らしてても良いのかどうかは知りません。
というか「何をやるか」が、明確には、ほとんど決まってません。
でもまあいいか、という感じで、4/18(金)に何かする予定。
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京都大学‐お知らせ/トピックス/2007 Back Number:博士学位授与式を挙行
2008年3月19日水曜日
過去の埋葬
過ぎてしまったことの記憶は明日のために都合よく変えてしまえば良いと思います。
『InterComunication 特集 音楽/メディア』No.64(2008年春号)読書メモ
Inter Communication (インターコミュニケーション) 2008年 04月号 [雑誌]
斜め読みした時、増田聡「『作曲の時代』と初音ミク」が面白いと思ったのは、知ってる人だからというのは関係なく、これだけが、音楽を作るやり方、音楽を聴くやり方、音楽と人を取り巻く状況の変化についてだけではなく、「音楽を聴く」という行為の意味が変わっていること(聴き手はみんな作り手のようなものになる、しかし初音ミクの現況を考えると、それはまだ言い過ぎかもしれない云々)について語っているように見えたからだったのだけど、数日たったら、それはそれでほめ過ぎか、とも思った。個人的な好みとして、僕は、今、もっと細かな話を読みたいんだと思う。
個人的な狭い興味からは「年表 21世紀の音楽/メディア 1990-2008」が一番面白かったけど、でも出てくる本とかCDは、実際問題、入手困難で、日本の大学図書館にはないものも多いので、この年表は、誰に対してどういう意味を持つものなんだ?と思った。僕も、実際に何かに使うことは多分なくて、読んで楽しむタイプの年表だし。
ということで、この号の『InterCommunication』は、音楽の生産と受容を取り巻く状況の変化云々について考えると同時に、音楽の生産と受容の性質の変質についても考えるべきだろう、という問題意識と、あと、この雑誌は誰に何をどのように伝えるものなのか?という疑問を僕にもたらしたわけだけど、たぶんもっと表面的なレベルでは、これは、僕が20代前半の頃に持っていた音楽に対する趣味嗜好をパッケージ化する効果をもたらすのだろう、と思った。
例えば、
1.CDというメディアとCDという商品しか持てなかったレコード会社が衰退していくこと(CDの売り上げは落ち続けているらしい。)
2.「音楽産業」が音楽のネットワーク化の結果として繁栄していくこと(着うたとかで著作権者の収入は伸び続けているらしい。)
3.「今の音楽」が「過去の音楽のアーカイヴ化」に呼応したものでしかなくなり「作曲の時代(アタリ)」のようなものが来るかもしれないこと
(アタリの言葉を文字通り受け取ってはいけないと思うし、今のものは過去のものの焼き直しに過ぎないという判断は、いまどきの若者は…というクリシェでしかないかもしれないけど)
といった、全て別々の事態は、ヴァージンとかタワレコとか中古CD屋とかでCDを(僕はレコードじゃなかった)ジャケ買いしていた頃には考えなかったことだし。
ま、「音響派」は「歴史」になったみたいです。
「音響派」のことなんか全く知らない人もたくさんいるままだと思うし、ずっと知らない人のほうが絶対的に多数派だと思うけど。
2008年3月16日日曜日
バイト、学位、映画
曜日の都合を伝えたらバイトに落とされたので、今年度はべんきょーにしゅーちゅーしよー、と思いました。
博士学位授与式にはスーツ・ネクタイ着用して欲しいそうです。誰が行くんだ?僕は3/24以降、正式に博士様になるみたいです。(たぶん。)
Dollsは面白かったです。
「様式美・のようなもの」というものが時間を経ると「様式美」になるのかもしれません。三組ともほとんど関係ないというのがなかなか良かったです。親分とお弁当持ってくる女性のエピソードで、ちょっとヨコハマメリーを思い出したのは、みんな文楽(?人形浄瑠璃?)の人形のように見えるような演出がなされてたからだろうけど、でも、コジキはもっと汚くなると思う。
受け付けない人は多いだろうなあ、と思いました。
2008年3月15日土曜日
<声>の現在とポピュラーカルチャー
京都精華大学表現研究機構:第四回ポピュラーカルチャー研究会
後から考えると、提出された問題圏はなかなか面白かった。帰属する身体がない<声>としての「自動人形の声」はどうなんだろうとか、そういう細かなこと考え出したら身のある思考にはつながらないと思うけど、問題圏としては関心があるので。
でも下手したら、キティちゃんという口がない「キャラ」に「声優」が加わって、「人格・のようなもの」となっていたあのアニメの映像(この画像とは違う。)のことしか頭に残らないかもしれない、という不安もよぎる。
でも、聴きに来た人間をあんな風に座らせるこたあないだろう、と思った。あんまし文句ばっか言う人間にはなりたくないけど。
飲み会で話した人は面白かったな。2008年度の目標の一つに、日本音楽学会に顔を出す人になること、というのを加えた。
34まで必死にがんばろ。
その前に寝よ。
2008年3月13日木曜日
ポータブルMP3プレーヤ 10周年 - Engadget Japanese
ポータブルMP3プレーヤ 10周年 - Engadget Japanese
そういやmpmanってあったなあ、と思い出しました。こういうガジェットは好きだけど、一生懸命集めねば!と思い込むほどでもない人間なのだけど、でも、この10年間で僕の「音楽の聴き方」は明白に激変しました。
「アルバム」一枚をまとめて聴かねば、とかは思わなくなったし、PC内部のファイルを探して聴くのでジャケットとか覚えずにミュージシャンの名前だけ覚えるようになったし、歌詞とかほとんどチェックしなくなったし、圧縮音源の音質に慣れたし…。
もちろん、レコード以前と以後でも違うし(「レコード」直後は「レコード」は音楽のための入れ物ではなかったけど)、Walkman以前と以後でも違うし、CD以前と以後でも違うので、圧縮ファイル以前と以後の変化が飛び抜けて大きいとも簡単には言えないけど、それまでの変化ほどの大きなものではない、とは言えないと思います。今や『MP3の修辞学』が必要とされているのだ!
まだ圧縮ファイルを用いずにCDプレーヤーで音楽を聴くほうが「普通」だって感覚のほうが多数派なのかもしれないけど、知らないです。統計とかあるんかな?
どっちにしろMP3プレイヤーの普及は不可逆的だと思うし、あるいは、「MP3プレイヤーを使う人々/使わない人々」という分裂(≒「パソコンを使う人々/使わない人々」)を作り出すのかもしれないと思うけど、僕は未来予想するつもりはないです。
でも、時代とか社会状況が変わっていくだろうという予感は何だか面白げ。変わるのが良いほうか悪いほうか(今の段階では)何とも言えないけど(判断する立場によっても変わるし)、何にしろ、「変わる」ってのは良いことです。
とりあえず今出来ることとして、僕が持ってる200gb以上の圧縮ファイル群の大半を占めるogg形式が生き残りますように、と祈っておこう。
あと、今日、中川家では、
1.やっぱCDの音質のほうが良いから時々はCDを聴くことにしよう
というのと
2.圧縮音源でしか聴かないようなものでCDRにダビングしたようなものは捨ててしまおう
という二つの意見が夫婦の間に提出されました。荷物は減らしていかないと。
2008年3月12日水曜日
Musicology: The Key Concepts
Musicology: The Key Concepts (Routledge Key Guides)
David Beard Kenneth Gloag
「音楽学」のお勉強に読んでみようかな、と思ったけど、自分が読んで勉強するには易し過ぎる内容で、内容的には学部生向きのもんでした。
ということが分かるので、Googleブック検索は便利ですね。
→
Musicology: The Key Concepts - Google ブック検索
じゃあ、教科書とか参考書として翻訳するには良いものなのかどうか、というと、よく分かりません。100ページ弱みたいだから便利だろうとは思うけど、3000円以上出す気になる本とは思えないので。ので、英語のままで自分が使う分には良い気がするけど、翻訳しても商品になるとはあんまり思えないです。誰か他の人の判断を聞いてみたいところです。
序文だけ飛ばし読みしたところ、1980年代以降、"before Kerman / after Kerman paradigm"という「神話」が語られてきたということが、自明の前提として語られてました。まあ「楽曲分析=音楽学」というパラダイム以前/以後みたいな話のはずです(たぶん)。
ってことは、西洋の有難い文物を輸入することが「学問」だとは毛頭思わないけど、でも、「日本の音楽学」は、ここ30年弱、何をしてきたんだ?
"after Kerman paradigm"は洋物の有難い最新の思想だから追随すべきだとは毛頭思わないけど、でも"after Kerman paradigm"が、同じ世界の中に同時代のものとして現に存在している(きた)ことは確かなのだから、それに反応さえしなかったんだろうか?
未知の他者と会話する手がかりになるもの(これを「教養」と呼んでおけば良いと思う。)を知らないままだと、後の世代が困るじゃないか。
と人のせいにできる年齢ではないけど、自分の責任として引き受ける気になれる身分ではないなあ、と思いました。
「日本の僕」は、ここ10年程、何をしてきたんだ?
(ま、一言で言うと、楽しかったです。)
2008年3月11日火曜日
大学図書館での調査
「電子音楽」と「ライブ・エレクトロニクス」という比較項目に「インターメディア」を加えるなら、論文二本目。それが面白いかどうかはともかく。
なんにしろ、これは言説構造の交通整理なので、感性的認識の学としての美学とは言い難い。でも音楽の分裂の諸相の一つとしてチェックしておきたい。
これで、出身研究室で居心地悪いなあとか思いながら資料チェックすることはもうないはず。次からは別の気分で別の場所でするはず。後、今月中に、この資料でどこまで話を作れるかな。
ま、いろんな区切りがありますわな。
2008年3月10日月曜日
独学Linux:Linux100% Vol.3が近日発売! - livedoor Blog(ブログ)
独学Linux:Linux100% Vol.3が近日発売! - livedoor Blog(ブログ)ソーテック、6万円台のモバイルSempron搭載ノート引越し直後、さあテレビを見よう、と思って、(うちはテレビ受信機はなくてラップトップでテレビを見てるので)ubuntuをインストールしてあるsotecのwv730を起動しようとしたら、途中まで起動したけど、突然消えて、その後、電源ボタンを押しても何も反応しなくなってお亡くなりになった。
二回目の渡米前に持っていって、グランド・キャニオンでスリップ事故起こした時に壊れて起動しなくなったので日本に送り返して、でも帰国後チェックしたら動作して起動するようになっていた、って代物だけど、画面がでかくて、動画見るのには良かったのに悲しい。
メモリを1GBに増設したはずなので、別のものにメモリをのせた後、ジャンクとしてヤフオクで売っぱらいたいけど、忙しくてできてない。
あと、今年中にubuntuに乗り換える計画が果たせない。誰か、ラップトップ余ってないかな。
2008年3月9日日曜日
オザケンPerfume
昨晩偶然気付いたことだけど、Perfumeの曲の再生速度を0.9倍、再生周波数を0.8倍にすると、まるで小沢健二の新曲のように聴こえる!!!PCにPerfumeのファイルさえあれば、あとは「聞々ハヤえもん」ってソフトが便利。再生速度とか再生周波数を好きに細かく調整できるので。
作者サイト:フリーソフト開発所
誰か共感してください。
→
3/15
夫関係:あんまし芳しい反応はなし。気のせい、夜中のせい、という声もあり、また、そもそもPerfumeを知らない人もいた。
妻関係:一人から同意された。
2008年3月8日土曜日
キーボードを買った。
キーボードを買った。メールを書きすぎて右手の人差し指が痛くなったのかもしれないと思ったけど、そりゃ、博士論文書いてた時の方が、たくさんキーボード叩いてたはずで、何にしろ、これ、7年ぶりの買い替えとかになるはずで、画期的に使い易くなった。
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最近ずっと過去の『音楽芸術』で「ライヴ・エレクトロニック・ミュージック」の受容状況を調べているのだけど、やっと見通しが立ってきた。僕は、実体としての「ライヴ・エレクトロニック・ミュージック」なるものの受容状況を詳細に網羅的に調べたいわけではなくて、大文字の「音楽」が分裂していった状況を浮き彫りにしたいのだけど、だからといって、『音楽芸術』しか調べなかったら、かなり偏った片手落ちな調査、という印象になるのかもしれない。材料の調理法次第で違うのかもしれないけど、まだ扱い方を決められるところまでは調べられていない。
ま、「ライヴ・エレクトロニクス」というものは、1968年に一柳慧が帰国した時以降に(ロックフェラー財団からのグラントで、1967年にNYにいた)「輸入」しようとしたものらしい。もっと前に言葉だけでも出ていた気がしたけど、見つからない。
「ライヴ・エレクトロニクス」というものは、ケージが、1962年に日本にジョン・ケージ・ショックを与えた時の《0'00''》とかがそうなのだけど、でもその時は、ケージの「偶然性やら不確定性」の"思想"の紹介で手一杯で「ライヴ・エレクトロニクス」の紹介はなされていない。
また、電子音楽の発展形は「コンピュータ音楽」だったので、電子音楽の発展形としても受容されていない。
ここらへんの経緯はもうちょっと調べて整理していかないといけないけど、目的は、そうした受容状況に「音楽の分裂」を見出すこと、ってのを忘れないこと。
僕は、(例えば)「ライヴ・エレクトロニクス」という音楽の価値を高めるべく研究してるのではなく、(例えば)「ライヴ・エレクトロニクス」とその他の音楽たちを適当な(adequate)やり方で(区別して)受容するあり方を提出するべく、研究していることを忘れないこと。
目的は、ある種の音楽の価値を高めること、ではなく、幾つかの種類の音楽を受容するあり方(とそれらを取り巻く言説構造)を整理すること、というのを覚えとくこと。
じゃないと色々迷ってしまいそうだし、「ライヴ・エレクトロニクス」なんかには興味がない人には興味がもたれない言葉しか語れないままだ。
2008年3月5日水曜日
国立国会図書館関西館
でかいです。
こんな荒涼とした田舎に、よくもまあ。。。
大きさだけならNYPL本館以上かもしれません。まあNYPLは近くに何個も別館があるわけですが。
登録したら、インターネット接続できるパソコンを利用できるカードを発行してくださるそうです。
高級感あふれる休憩用の椅子や、毎回IDを発行してくださる設備や、このハコモノやこの箱物の中にしか使えないものとして開発されたであろうシステムとそのカードを認識するシステムと機械や、それらも含めて物品の納入とこのハコモノを作ったおかげで、どれくらいの人数がどれくらいの生活費を稼いだのかは分かりませんが、まあ、バカっぽい建物であることは間違いありません。
この中を見て、これで関西にも日本有数の知の結晶がうんぬん、ということ「しか」言わない人間は、信用してはいけない、と思いました。確信的に何かの話題を避けたいと思わない限り、そんな人いないと思いますが。
ワイヤレスラン接続くらい用意しろよ、ボケ。
と思いました。
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交通の便がやたら不便なので、あんまし人はいないし、やたら広くて天井も高くて机が豪華なので、ばれなければ勉強できる場所で、でも、僕はもうネット接続もないし音楽も聞けない場所で勉強はできない気がします。
開架図書は、書籍はないけど、辞典類とか新聞は京大図書館より充実してるので、そういう、初めの一歩の調べ物には便利。
数百ページコピーするので、一枚に35円も払いたくはないので、コピーする時は京大に行くけど、コピーする箇所の目安をつけるための調べ物するのには便利です。18:00には確実に追い出されるので家に帰らないといけないし。
ただ、関西館には、『音楽芸術』は23.4以降しかない。
所蔵巻号数はチェックしていかないといけない。
でも他の色々な雑誌があるはず(まだ見てないけど)。
国立国会図書館 NDL-OPAC
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PC利用について
自分で持ち込んだラップトップの利用は可。コンセントもある。ただし、LAN接続は有線無線ともに無し。
本人確認(まだ住所変更していない免許証と健康保険証で可)何とかを済ませると、ネット接続できるPCを利用できるカードを発行してくれるらしい。
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取寄せについて
和図書・洋図書・洋雑誌・児童書・マイクロフィルムなどは取寄せ可能:和図書は不可
一人五件五点まで。ただし和図書は三点まで。
申し込みの三日後から三日間閲覧可能。
和図書の複写は職員による即日複写のみ可能。
その他はセルフ複写が可能。
2008年3月4日火曜日
丹波橋
昨夜の問題の後始末をすべくメール書いてたら4時間ほどたってて、今日は、調査はできませんでした。問題の最終的なオトシドコロは見えないけど、やたら眠いしきっと何とかなるに違いないと信じておくことにします。
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メール書いたりto doとか整理してるだけで12時間近く経過したではないか!
こういうタイプの「仕事」をどんどんこなせる人もいるのだろうけど、そんなに頻繁にこういう必要性がないと、なっかなか効率的に全てをまわせるようにはならんもんだ。
GoogleノートブックとかBox.netの利用だけでは限界がある。というか、オンライン・ストレージとかオンライン文書とかオンラインのメモとか、一元化せんといかん。
もっと増えてくるだろうから。
午前3時にそう思いました。
「人」って、どれくらいの長さのメールを何通くらい書くもんなんだ???
一日で、ニ、三行で終わるわけじゃないけっこうな長さとたくさんの敬語にあふれたメールを30通書く、というのはけっこうつらい。何文字書いたんかな???右手の人差し指が痛いです。
そのうち僕も「メールに返信しない人」になったんねん。で、年度末には、キーボード買い換えたんねん。
寝よ。
2008年3月3日月曜日
ウーミン - U-Min
なんだか面白いけど、僕も最後までずっとは見れませんでした。
MCハマーも創設に関わったらしいDanceJamで見つけました。
“Japanese popping comp; [ウーミン] U-Min brings the Avant Garde” video – DanceJam
2008年3月2日日曜日
2008年3月1日土曜日
The auditory culture reader
自分が使える「ツール」を増やしていかねばいけないと思ったので整理していくことにしました。
でも「ツール」は増やせず、開拓すべき地域の探索で終わった気がする。
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Auditory Culture Reader (Sensory Formations Series)
Michael Bull Les Back
The Auditory Culture Reader(かたく訳すと『聴覚文化読本』あるいは『聴覚文化リーダー』)。
(自分の視野の狭さが大きな原因だったと思うが)「音楽学」の狭さに辟易していた当時、出た時は、何と画期的な本だろうと感動したけど、もう5年前。出た時はこのアンソロジーには余り面白みを感じなかったのだけど、この頃、この手の「聴覚文化」関連のリーダーが一度に数冊出版された。実は全て隅から隅まで読んだわけじゃないけど、そういう読み方を必要とする本ではないと思う。
1.全体の内容
IからIVは音楽ではなく「音」にまつわる論考が、Vでは音楽にまつわる論考が集められている。それぞれ、「音(×音楽)」について研究するための幾つかのアプローチ、それから、非音楽学的な(というよりも非楽曲分析的な)、音楽について研究するためのアプローチが集められている。それぞれの効用は、音あるいは音楽に対する幾つかの学的アプローチを教えてくれること、と言える。
そうした様々なアプローチがあることから分かることは、
対象が「音楽」ではなく「音響」でも、美学的・哲学的考察は十分可能なこと
「歴史学」の領域では、過去の聴覚文化(あるいは音響文化)を取り扱うための方法論がかなり成熟していること
音楽経験ではなく、聴覚経験を通じた世界経験の構造を分析するアプローチ(と言って良いかな?)が、様々な文化社会に適応できること
「都市のサウンドスケープ」を論じる際には、不十分ながらも部分的あるいは断片的に「分析」していこうとする論じ方があること
非楽曲分析的な、音楽について研究するためのアプローチはあるけれど、僕は、例えばディアスポラとかポストコロニアルとかにまつわる問題についてあまりにも不勉強であること
かな。
「音響」を哲学的考察の対象とすることは可能だし、「音響」を歴史的資料として扱う方法論はかなり成熟しているし、聴覚経験を通じた世界経験を分析するアプローチとしては「音響認識論」があるし、「都市のサウンドスケープ」を論じるアプローチは現在(5年前だけど)探求中だし、僕は、カルチュラル・スタディーズ的な問題圏について不勉強、と。
当面、僕が関心があるのはKarin Bijsterfeldの論文で、当面、僕は、歴史の中で音という資料を扱う方法を具体的に少しずつ身につけていく必要がある。
2.各パートの内容
後は細かいまとめなのでブログに投稿しなくても良いなあ…。これは死にかけた後の僕のブログ作法が惰性で続いているだけなので、こういうの、もうやめていこう。これ、最後。
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PartI - Vを、多少ぎこちなく訳すと、それぞれの役割が分かりやすい。それぞれ、
I.音について思考すること
II.音のさまざまな歴史
III.音のさまざまな人類学
IV.都市のさまざまな音
V.音楽と共に生きて思考すること
と訳せる。Iでは哲学的な論考が、IIでは歴史学的な論考が、IIIでは人類学的な論考が、IVでは都市論的な論考が、Vでは音楽学的な論考が集められていて、全て、(視覚的側面ではなく)聴覚的(音響的)側面を重視するもの。
2-1
Iでは「音楽」ではなく「音」に焦点を絞った、哲学的な論考が集められている。
対象が「音楽」ではなく「音響」でも、美学的・哲学的考察は十分可能であることを教えてくれる。ただし、これらはシェーファー以後の「サウンドスケープ」にまつわる思考、ではない。そのうちメルロ・ポンティとかが召喚されそうな方向だと思う。
2-2
IIでは、聴覚文化(あるいは音響文化)の歴史を扱う、歴史学的な論考が集められている。
「歴史学」の領域では、過去の聴覚文化(あるいは音響文化)を取り扱うための方法論がかなり成熟(?)していることが分かる。個人的に参考になったのは、自著の方法論を説明しているBruce R. Smithの論考だけど、一番面白かったのは、Karin Bijsterfeldの、1900-1940年代のUSAとヨーロッパにおけるnoise abatement(騒音削減運動?)の流れを整理した論文の抜粋。
聴覚文化を扱う歴史学の論考は方法論がかなり整備されているようなので、ある程度までは、論文の評価は外形的に下せる。方法論がいい加減で、例えば、まだシェーファーのearwitnessしか出せないなら、それは不勉強な論文。(シェーファーは基本というか始点なのでかなり頻繁に言及されるけど、Truaxとかのほうが言及される気がする。印象でしかないけど。)
また、方法論が整備されているので、しっかりした論文は何が明らかになったか明確なので読後には何かを得た気にはなれるけど、関係ない論考はやっぱり関係ない論考でしかない場合が多いので、論文の対象は何かということには気をつけること。例えば僕の場合、Bruce R. Smithが(自著で)扱っているらしい1600年ごろのロンドンの聴覚文化に対する歴史的考察は、あんまり利用価値がなくて、Karin Bijsterfeldの論考は、かなりある。
ま、何やっても無駄になることなんかない、とも言えるし、関係なさそうな論考なのに読後大いに触発される、という事態をゼロにしてしまってはいけない。そういう出来事こそが読書における最重要の事件である場合は多いのだから。
2-3
IIIでは、人類学的なアプローチで聴覚文化もしくは音響文化を扱う論考が集められている。つまりはもちろん、スティーヴン・フェルド『鳥になった少年』におけるようなacoustemology(音響認識論)的な論考が集められている。
音楽経験ではなく、聴覚経験を通じた世界経験の構造を分析するアプローチ(と言って良いかな?)が、様々な文化社会に適応できることを教えてくれる。
ただ、Jo Tacchi "Nostalgia and Radio Sound"には多少拍子抜けした。ラジオ聴取行為における「ノスタルジア」を否定的なものではなく肯定的なものとして捉えるアプローチが新しいのかもしれないけど、なんだか「人類学」というディシプリン内部での議論構造だけが問題になっているように思えて。
2-4
IVでは、特に都市のサウンドスケープを分析しようとする論考が集められている。なぜ「都市の音」だけが特権化されているのかいまいち納得できないけど。「現代の人間」は、程度の差はあれ、(田舎に住んでいても)「都市」に住んでいると言える(田舎には雑踏は時々はあるもんだし)、と考えて納得してみよう(なんか違う気もするけど)。
「都市のサウンドスケープ」を論じる際には、不十分ながらも部分的あるいは断片的に「分析」していこうとする論じ方があること教えてくれる。
分析対象を、サッカー球場や車のサウンドスケープに限定する、とか。あるいはJean-Paul Thibaudのように、ウォークマン的な聴取を分析する際に、ウォークマン的な聴取が持つ特徴的な性格が観察される代表的なトポスを「Doors, Bridges, and Interchanges」と分類してみる、とか。
きめ細やかな分類項の提出とかよりも、とりあえず「今後の考察の足場となるような分類項の提出」のほうが(少なくとも僕には)役立つことを教えてくれる。
それともこういうタイプの考察は、WORLD SOUNDSCAPE PROJECT とかで、既になされていたりいはしないのだろうか?と思った。
2-5
Vでは、非楽曲分析的な、音楽について研究するためのアプローチが集められている。
ただし、このリーダーに収められている論考はかなり凝縮されているので、土台となる知識を知らないと難しすぎてあんまり理解できないので、非楽曲分析的な、音楽について研究するためのアプローチはあるけれど、僕は、例えばディアスポラとかポストコロニアルとかにまつわる問題についてあまりにも不勉強であることを教えられる。
ので、ちゃんとせんといかんなあ、と思うのだけど、このパートの幾つかの文章は、正直、アマチュア・ミュージシャン(もしくはせいぜいセミプロ?)の自分語り(という名のエッセイ)にしか見えないと思う。違うか?あと、なんでThe Auditory Culture Readerというタイトルのリーダーの最後に「音楽」に関する論考を持ってくるんだ?という不満(のようなもの)もある。
高の原に引っ越しました。
皆様、今後ともよろしくお願いします。
引越し直後に少し風邪気味になったけど、やっと勉強できそうな状態になりました。
高の原には馬鹿でかいイオンがあり、駅の西側には無駄にでかい私のしごと館やら国立国会図書館の関西館やらがあるのですが、市役所とかは東側にあり、市役所に転入届を出しに行った時に、よし、車を買おう!と決意しました。
茨木市は10年前の和歌山市みたいだったけど、木津川市役所に行った時は、20年前の粉川町にいった気分になったので。このままだと来年度の収入はかなり減るはずなのだけど、前向きに生きていれば、人は支出に見合う収入を稼ぐようになるに違いない。間違いない。
あと、二度と見ないだろう本をどんどん手放していこう、と思いました。
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ローンとリース 車を持つならどっちがお得? - [All About マネー]All About
おくるまリース
とりあえず、リース車はそんなにお得じゃない、ということを学んだ。
→
Things I have learned in my life so far
→
富士ゼロックス 「一人一音の演奏会」シリーズもうCMをほとんど見ないので全く知らなかったけど面白い。