2008年1月30日水曜日

BOREDOMS LIVE AT SUNFLANCISCO

以下のようなことを考えました。
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BOREDOMS LIVE AT SUNFLANCISCO
BOREDOMS
B000WZO65I

1990年代にある種のファンタジーを体現していた人(たち)として面白い。(今でもあるのかどうかは知らない。つまり、あんまし知らない。)とりあえず、最後にまとめたように二点思いついた。
音響そのもの「だけ」が面白いわけじゃない。「バンド」としての活動方法のあり方やイメージ戦略やらも含めた上での「パフォーマンス」が面白い。

例えば、ステージ上に三台のドラム・セットを置き、やまつかあいの「ストレンジ・ヴォイス」と三台のドラム・セットだけで10分ほど演奏する、そしてその後、やまつかあいのシンセサイザーの持続音と三台のドラム・セットによる「疾走感」溢れるリズムがたたき出される。
という代物を、(夢の)かりふぉーにあのライヴ・ハウスで「がいじん」相手に見せる「世界に通用する日本人アーティスト」のDVDをながらで見たのだ、僕は。
これは何だ?
「ストレンジ」で「クイアー」なことをしている「日本人」という記号は、なんなんだろう?

色々思うけど、でも、けっこう「純粋に」、三台のドラム・セットが共演する音はものすごく面白い。(ボアダムズって、今、ドラム三台とやまつかあい、なのか?)
のだけど、これは僕がドラム・セットの音に強く惹かれるからなのかそうじゃないのか、の区別はつかない。
「一般受け」はしないけど、「一般受けしないこと」は「ボアダムズ」の魅力の一つで、「ボアダムズ」は「一般受けしない」からこそ「ボアダムズ」に惹かれる人は「ボアダムズ」に魅力を感じるんだろう、と思った。
でもこの「一般受けしない」は、「ゲンダイオンガク」が「一般受けしない」ほど「一般受けしない」わけじゃなくて、「一般受けしないこと」がある種の利点として認識される程度に「一般受けしない」(つまり、一般受けはしないがそれなりの広範囲には受ける)のであって、三台のドラム・セットの共演の音は面白い。
これは「あヴぁんぎゃるど音楽」のイメージを利用しているのだ、と考えると、「ゲンダイオンガク」の効用の一つとして、こうした「実験的ポピュラー音楽」のイメージ戦略のための装置を与えてくれたこと、をあげることができるのかもしれない。
こういうことを本当にしてしまうことが「ボアダムズ」の魅力であることは(思いついても誰もしないことを本当にするかどうかは大違いなので)間違いないと思う。

(SFでボアダムズ呼んだ人がしただろうように)渡航費払ってまで演奏してもらわないといけなかったり、あるいは(僕がしたみたいに)DVDを購入しないといけない代物だとは思わないけど。

20代に持ってたある種のファンタジーを体現する人(たち)だから、ちゃんと何かに位置づけて押し込めてしまいたい気がする。今もきちんと活動している人間を何かに押し込めてしまいたいと思うのも失礼な話だから、ずっと「面白いこと」やっていて欲しいもんだ。

おおそうか、これは、Sun Raとかと一緒なのか、と気付いた。
ボアダムズや、いわゆる(?)「大阪インディーズ発の音楽(実験的ポピュラー音楽)」とは、日本発のアフロフューチャリズムだったのか。
だからなんやねんと思うけど、これ、少し考えてみたら面白いかもしれない、というところまえ考えたところで眠くなってきた。
「ボアダムズ」とか「フレッド・フリス」の「魅力」をめぐる構造は、分析したら面白いことが言えそうな気がする。

1.「ゲンダイオンガク」の効用として、そのイメージを流用させたものとしての「実験的ポピュラー音楽」
2.日本発のアフロフューチャリズムとしての「大阪インディーズ発の音楽」

ということを心に留めておいてみよう。

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