以下のようなことを考えました。
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ピアノの誕生―楽器の向こうに「近代」が見える (講談社選書メチエ)
西原 稔
参考
松岡正剛の千夜千冊『ピアノの誕生』
ほぼ日刊イトイ新聞 -担当編集者は知っている。
目次
第1章 戦争と革命が発展をうながす
第2章 産業の楽器
第3章 ヴィルトゥオーソの時代
第4章 ピアノという夢
第5章 ピアノ狂騒曲
第6章 自動楽器
第7章 日本のピアノ
去年、プリペアド・ピアノ論文書くためにちょっとだけ読んで、論文には不要だと判断してほったらかしてあったのだけど、2007年度の担当授業もほとんど終わったし、ちょいと気軽に読んでみよう、と思って読んで、大変面白かった。
すぐさま参考にすべきなのは、第6章の自動演奏楽器と第7章の日本におけるピアノ(製造)の歴史簡易版。これは来年度の授業ネタ作成に使用。
残念ながら「参考文献」とか「典拠」が全く挙げられていないのでここから勉強を広げることができないけど、大筋を把握したり準備的な考察をする基盤として使える。
第1章から第5章は、「クラシック音楽」の諸々に不案内なものとして、勉強になった。
ピアノって19世紀後半まで「完成」していなかったし、けっこう早くにブームが終わっていった楽器だったらしい。
ベートーヴェンの作曲「が」ピアノという楽器を「改良させていった」といた話は、けっこう色々なところで指摘されていることだけど、この本が一番明快に扱っている気もする。
第1章から第5章の中では、「第3章 ヴィルトゥオーソの時代」が一番引っかかりやすかった。「エチュード」の発展史とピアノの改良史とヴィルトゥオーソの思考を重ね合わせ、そこに「ペダル」というメカニズムに託された方向性を重ね合わせ、そうすることで、アヴァンギャルドの音楽家や電子楽器にまで議論を拡大していくので(それが成功しているとはいえないと思うけど。なんといってもやはり、教養の無い我が身にとっては、様々な固有名詞がいちいち分からないのだ。)。
音色の好みの変化が楽器の方向性を決定した、という話は、現実のピアノ会社の興亡に帰結する話なので面白いけど、じゃあ、なんで音色の好みが変化したのか、ってのを教えて欲しい。という風に、色々細かいところで分析の突っ込み具合に不満が残るけど、出発点として、基本書と考えても良いと思う。でも、この方向性の続編が出てくれないものだろうかと思う。
この次は平凡社選書の2000年の『「楽聖」ベートーヴェンの誕生―近代国家がもとめた音楽』で、その次は特に出てないのか。「教科書」作ることに熱意を持てる時代の人じゃないだろうなあ。
第6章について。
近代市民社会で、それまで「ピアノ」という楽器が(ある種のファンタジーを伴って)果たしていた役割と、後に蓄音機が果たすことになった役割とを果たしたものとして自動演奏楽器を位置づけると分かりやすいかもしれない、と思った(本書がそのように明確に位置づけているわけじゃない)。自動演奏楽器のルーツの一つは、「手回しオルガン」とか「ストリート・オルガン(例えばこれ)」なので、街頭の辻楽師が使う下層階級のものという否定的なイメージがあった、しかしそうしたイメージは徐々に変わっていった、というストーリーは興味深い。もう少し突っ込んだ話と分析が欲しいところ。
「1.楽器のポータブル化の流れ」と「2.一種の家具、接待道具としての楽器の位置づけ」と「3.一種のオーディオ装置としての(自動演奏)楽器の位置づけ」という、全て別々の動向に見えるものは、確かに、全て「アマチュアによる音楽制作に向かう方向性」として位置づけると一本化できる。けど、実際のところどうなんだろう。ここにSterneのThe Audible Pastのような音響再生産テクノロジーの起源にまつわる話(蓄音機を、音楽にまつわる蓄音機以降の様々な変化の起源として位置づけるのではなく、それまで様々な領域で進行していたパラダイム変化の帰結として位置付けるような観点)を組み込むとどうなるのだろう。
ということは、もう少しSterneの考察を整理して、他に情報を集めて、一つのお話としてまとめておかねば、と思った。
というところまで考えて、そういや、昔こういうことを考えたなあ、と思い出した。
「アマチュアによる音楽制作に向かう方向性」という話なので、ジャック・アタリの『ノイズ―音楽/貨幣/雑音』とかロラン・バルトの『第三の意味―映像と演劇と音楽と』を読んだ時だと思ったのだけど、探してみたら違った。なぜか、ペギー先輩に「みんなのうた」についての私見を書いた時に考えたらしい。
僕は2001年4月14日にこのような作文を書いていたらしい。
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作文
中川xx
「今や時代はアマチュアのものである。」
渡辺裕先生によると、日本では、蓄音機を家族が奏でるピアノ演奏の代替案としての「楽器」として受容した時期がなかったそうで、最初から音楽再生装置として受容されたそうで、つまり、日本では西欧のように、音楽を自分たちで生産して受容するというあり方での音楽文化が音楽を保存・再生する技術によりスポイルされてきた、という歴史を辿らずに、自文化(三味線を自分たちで弾いた楽しむ、などの音楽を自己生産する文化)を捨てて異文化(家族でピアノ演奏を楽しむ、というよりは、西洋音楽というステータスを与えてくれる蓄音機とか)を受容したのに伴って、音楽を自分たちで生産して楽しむ、という文化を捨ててしまったらしい。
そういえば、確かに、現在の僕らの周りで音楽と呼ばれるものたちは全部、何らかの「プロ」に向かう方向性を持つものばかりである。クラシックが好きな人は勿論、バンドマンたちも「プロ」で「ほんもの」のバンドマン(誰でも良いけど、例えばストーンズとか、おやまだけいごとか、たけむらのぶかずとか)を目指す方向に向かわざるを得ない音楽しかやってないやつばっかである。そう考えると、たいがいの音楽家は、権威主義的なくずばっかなのである。
そのような現況をかんがみるに、「みんなのうた」は、音楽を民衆の手に取り戻すための大いなる武器となるはずである。僕らは、誰がつくったのかも分からない歌を、まるでそれが自分のものであるかのように覚え歌い、楽しむ文化を取り戻すべきなのである。「みんなのうた」を、ほんとうに「みんな」の所有物である、と思い込んでしまえる文化を取り戻すために、「みんなのうた」は更に人口に膾炙していくべきである。
とはいえ、最近CDが再発された高橋ゆうじの「水牛楽団」の失敗を知っている我々は、もはや無邪気に「今や時代はアマチュアのものである」と宣言することも出来ない。恐らく、せいぜいリオタールさんにならって、「ほらここにこんな種類の、ほかとはちょっと違う音楽もあるよ」というくらいが関の山ではないか、とも思う。僕らは既に、一人称複数形で何かを語れるのかどうかさえ自信がない世代なのだから、「みんなのうた」を「みんな」のうたとして思い込むためには、それなりの方法を考え出さないといけない、というのもほんとなのだと思う。
終わり
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ちなみにこの一週間後、僕は「殺人」という行為に匹敵するものとして「音楽的な行為」を位置づけることは可能かどうかを考えている。
昔の自分になかなか共感できない事例ですな。
2008年1月29日火曜日
西原稔『ピアノの誕生―楽器の向こうに「近代」が見える』
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