Gmailのラベルを親子構造にしてくれるもので大変便利だったのだけど、数日前から突然使えなくなっていて、理由がずっと分からなかったのだけど、Google Groupsのディスカッションを見て、やっと、それはどうやらGoogleがGmailのラベルに親子構造の機能を持たせようとしているからかもしれない、ということが分かった。
folders4gmail greasemonkey script stopped working on my single account - Gmail-Users | Google グループ
Official Gmail Blog: The next evolution of labels
でも、その新機能が搭載されるまでの数日は大変不便なので、Greasemonkeyのスクリプト(修正版)を使うことにしたのであった。Better Gmailのは使えなかったので。
Folders4Gmail – Userscripts.org
これもいつまで大丈夫か知らないけど、そのうちGmail本体に、ラベルを親子構造にする機能が搭載されるみたいなので、そしたらそっちに移行すること。
というメモ。
2008年1月31日木曜日
Folders4Gmail
アクション・ペインティング
来年度の月曜6限のために人に会って、初対面の挨拶と、なんとなく話を弾ませるリハーサルしたところ、第二次世界大戦後に、挫折したかつてのマルクス主義的知識人が誉めたのがアメリカ型抽象絵画だ、という話をきいた。(たぶんそういう内容だった気がする。)
で、ハロルド・ローゼンバーグの「アクション・ペインティング」という言葉は、もちろんジャクソン・ポロックの絵画を言い表した言葉なのだけど、同じように(?)、「革命」に向けてアクションするペインティングだ、という意味があるらしい。
どの程度嘘かほんとか分からないけど、佳話だ。ぜひとも、きっちり文章化しておいて欲しい。もしくはどっかに(別の誰かが別のやり方で)してあるんかな?
あと、ボアダムズとは、おしゃれで(シバヤマくん)、ジャパニメーションのように社会的無気力の発露だから世界に受け入れられた(くま)、という感想を採取した。
2008年1月30日水曜日
BOREDOMS LIVE AT SUNFLANCISCO
以下のようなことを考えました。
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BOREDOMS LIVE AT SUNFLANCISCO
BOREDOMS
1990年代にある種のファンタジーを体現していた人(たち)として面白い。(今でもあるのかどうかは知らない。つまり、あんまし知らない。)とりあえず、最後にまとめたように二点思いついた。
音響そのもの「だけ」が面白いわけじゃない。「バンド」としての活動方法のあり方やイメージ戦略やらも含めた上での「パフォーマンス」が面白い。
例えば、ステージ上に三台のドラム・セットを置き、やまつかあいの「ストレンジ・ヴォイス」と三台のドラム・セットだけで10分ほど演奏する、そしてその後、やまつかあいのシンセサイザーの持続音と三台のドラム・セットによる「疾走感」溢れるリズムがたたき出される。
という代物を、(夢の)かりふぉーにあのライヴ・ハウスで「がいじん」相手に見せる「世界に通用する日本人アーティスト」のDVDをながらで見たのだ、僕は。
これは何だ?
「ストレンジ」で「クイアー」なことをしている「日本人」という記号は、なんなんだろう?
色々思うけど、でも、けっこう「純粋に」、三台のドラム・セットが共演する音はものすごく面白い。(ボアダムズって、今、ドラム三台とやまつかあい、なのか?)
のだけど、これは僕がドラム・セットの音に強く惹かれるからなのかそうじゃないのか、の区別はつかない。
「一般受け」はしないけど、「一般受けしないこと」は「ボアダムズ」の魅力の一つで、「ボアダムズ」は「一般受けしない」からこそ「ボアダムズ」に惹かれる人は「ボアダムズ」に魅力を感じるんだろう、と思った。
でもこの「一般受けしない」は、「ゲンダイオンガク」が「一般受けしない」ほど「一般受けしない」わけじゃなくて、「一般受けしないこと」がある種の利点として認識される程度に「一般受けしない」(つまり、一般受けはしないがそれなりの広範囲には受ける)のであって、三台のドラム・セットの共演の音は面白い。
これは「あヴぁんぎゃるど音楽」のイメージを利用しているのだ、と考えると、「ゲンダイオンガク」の効用の一つとして、こうした「実験的ポピュラー音楽」のイメージ戦略のための装置を与えてくれたこと、をあげることができるのかもしれない。
こういうことを本当にしてしまうことが「ボアダムズ」の魅力であることは(思いついても誰もしないことを本当にするかどうかは大違いなので)間違いないと思う。
(SFでボアダムズ呼んだ人がしただろうように)渡航費払ってまで演奏してもらわないといけなかったり、あるいは(僕がしたみたいに)DVDを購入しないといけない代物だとは思わないけど。
20代に持ってたある種のファンタジーを体現する人(たち)だから、ちゃんと何かに位置づけて押し込めてしまいたい気がする。今もきちんと活動している人間を何かに押し込めてしまいたいと思うのも失礼な話だから、ずっと「面白いこと」やっていて欲しいもんだ。
おおそうか、これは、Sun Raとかと一緒なのか、と気付いた。
ボアダムズや、いわゆる(?)「大阪インディーズ発の音楽(実験的ポピュラー音楽)」とは、日本発のアフロフューチャリズムだったのか。
だからなんやねんと思うけど、これ、少し考えてみたら面白いかもしれない、というところまえ考えたところで眠くなってきた。
「ボアダムズ」とか「フレッド・フリス」の「魅力」をめぐる構造は、分析したら面白いことが言えそうな気がする。
1.「ゲンダイオンガク」の効用として、そのイメージを流用させたものとしての「実験的ポピュラー音楽」
2.日本発のアフロフューチャリズムとしての「大阪インディーズ発の音楽」
ということを心に留めておいてみよう。
2008年1月29日火曜日
Merce Cunningham Collection: Volume 1
以下のようなことを考えました。
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Merce Cunningham Collection: Volume 1
Merce Cunningham Dance Company, Merce Cunningham & Elliot Caplan
"Deli Commedia" (1985), "Changing Steps" (1989), "Beach Birds for Camera" (1993)の三作品 in Studio、という代物。
リージョン0だけどscriptはなし。
ダンス・カンパニーの人が踊っていて、50-60年代の頃の若々しいマース・カニンガムの映像が見れるわけじゃない。
ダンサーの一人は、若い頃のカニンガムに似てるかもしれない。顔の細長さとかが。と思ったら、この人は女性だ。
「ダンス」に興味がないと面白くないだろうけど、なんか面白い。
「なんか面白い」と思える感性を持っているから、僕は「美学科」に所属したのだろう。
「なんか」ではどうしようもないから、「ダンスの見方」とか「コンテクスト」とか補足しないと駄目なんだけど、知らない。
ケージの音楽を使ってるわけじゃないし("Changing Steps"は使ってるかも。個々の作品の情報が分からん。)、コンテクスト等々を無視して「批評」したいわけじゃないし、こーきゅーなハイ・アート的だから良いとも駄目だとも思いたくはないし(たぶんそういうのは、結局は、各々のプレイヤーが持つ文化資本の再配分にまつわる権力闘争でしかない気もするので、なら、自分があまり関わっていないものについて言及するのは止めておいた方が良いと思うので)、なので「分からない」けど「なんか面白い」。
人間が体を動かしているのを見るのは面白いし、「ダンス」だけ、人間の体は色々動くものであることを教えてくれるのだけど、こういうだけでは何にもならんなあ。
困ったもんだ。
こういうのを見たら「(心とかが)豊かになる」とは思わんけど、人間の身体に対する想像力が少しは増えるかも、と思った。(自分に限らず)身体に対して配慮を持たない生活、というのはつまらなさそうだけど、なぜそれがつまらないか、とかを具体的に言えれば良いのかな?
ま、とりあえず「なんか面白い」。
キセル『magic hour』
magic hour
キセル
一曲目、良いなあ、と思いました。「一曲目」だからってんでなく。
生ドラムと一緒に演奏しても素敵なテクスチュアを作れるようになってんだ、と思いました。
人は変わっていくもんだなあ、と思いました。
西原稔『ピアノの誕生―楽器の向こうに「近代」が見える』
以下のようなことを考えました。
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ピアノの誕生―楽器の向こうに「近代」が見える (講談社選書メチエ)
西原 稔
参考
松岡正剛の千夜千冊『ピアノの誕生』
ほぼ日刊イトイ新聞 -担当編集者は知っている。
目次
第1章 戦争と革命が発展をうながす
第2章 産業の楽器
第3章 ヴィルトゥオーソの時代
第4章 ピアノという夢
第5章 ピアノ狂騒曲
第6章 自動楽器
第7章 日本のピアノ
去年、プリペアド・ピアノ論文書くためにちょっとだけ読んで、論文には不要だと判断してほったらかしてあったのだけど、2007年度の担当授業もほとんど終わったし、ちょいと気軽に読んでみよう、と思って読んで、大変面白かった。
すぐさま参考にすべきなのは、第6章の自動演奏楽器と第7章の日本におけるピアノ(製造)の歴史簡易版。これは来年度の授業ネタ作成に使用。
残念ながら「参考文献」とか「典拠」が全く挙げられていないのでここから勉強を広げることができないけど、大筋を把握したり準備的な考察をする基盤として使える。
第1章から第5章は、「クラシック音楽」の諸々に不案内なものとして、勉強になった。
ピアノって19世紀後半まで「完成」していなかったし、けっこう早くにブームが終わっていった楽器だったらしい。
ベートーヴェンの作曲「が」ピアノという楽器を「改良させていった」といた話は、けっこう色々なところで指摘されていることだけど、この本が一番明快に扱っている気もする。
第1章から第5章の中では、「第3章 ヴィルトゥオーソの時代」が一番引っかかりやすかった。「エチュード」の発展史とピアノの改良史とヴィルトゥオーソの思考を重ね合わせ、そこに「ペダル」というメカニズムに託された方向性を重ね合わせ、そうすることで、アヴァンギャルドの音楽家や電子楽器にまで議論を拡大していくので(それが成功しているとはいえないと思うけど。なんといってもやはり、教養の無い我が身にとっては、様々な固有名詞がいちいち分からないのだ。)。
音色の好みの変化が楽器の方向性を決定した、という話は、現実のピアノ会社の興亡に帰結する話なので面白いけど、じゃあ、なんで音色の好みが変化したのか、ってのを教えて欲しい。という風に、色々細かいところで分析の突っ込み具合に不満が残るけど、出発点として、基本書と考えても良いと思う。でも、この方向性の続編が出てくれないものだろうかと思う。
この次は平凡社選書の2000年の『「楽聖」ベートーヴェンの誕生―近代国家がもとめた音楽』で、その次は特に出てないのか。「教科書」作ることに熱意を持てる時代の人じゃないだろうなあ。
第6章について。
近代市民社会で、それまで「ピアノ」という楽器が(ある種のファンタジーを伴って)果たしていた役割と、後に蓄音機が果たすことになった役割とを果たしたものとして自動演奏楽器を位置づけると分かりやすいかもしれない、と思った(本書がそのように明確に位置づけているわけじゃない)。自動演奏楽器のルーツの一つは、「手回しオルガン」とか「ストリート・オルガン(例えばこれ)」なので、街頭の辻楽師が使う下層階級のものという否定的なイメージがあった、しかしそうしたイメージは徐々に変わっていった、というストーリーは興味深い。もう少し突っ込んだ話と分析が欲しいところ。
「1.楽器のポータブル化の流れ」と「2.一種の家具、接待道具としての楽器の位置づけ」と「3.一種のオーディオ装置としての(自動演奏)楽器の位置づけ」という、全て別々の動向に見えるものは、確かに、全て「アマチュアによる音楽制作に向かう方向性」として位置づけると一本化できる。けど、実際のところどうなんだろう。ここにSterneのThe Audible Pastのような音響再生産テクノロジーの起源にまつわる話(蓄音機を、音楽にまつわる蓄音機以降の様々な変化の起源として位置づけるのではなく、それまで様々な領域で進行していたパラダイム変化の帰結として位置付けるような観点)を組み込むとどうなるのだろう。
ということは、もう少しSterneの考察を整理して、他に情報を集めて、一つのお話としてまとめておかねば、と思った。
というところまで考えて、そういや、昔こういうことを考えたなあ、と思い出した。
「アマチュアによる音楽制作に向かう方向性」という話なので、ジャック・アタリの『ノイズ―音楽/貨幣/雑音』とかロラン・バルトの『第三の意味―映像と演劇と音楽と』を読んだ時だと思ったのだけど、探してみたら違った。なぜか、ペギー先輩に「みんなのうた」についての私見を書いた時に考えたらしい。
僕は2001年4月14日にこのような作文を書いていたらしい。
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作文
中川xx
「今や時代はアマチュアのものである。」
渡辺裕先生によると、日本では、蓄音機を家族が奏でるピアノ演奏の代替案としての「楽器」として受容した時期がなかったそうで、最初から音楽再生装置として受容されたそうで、つまり、日本では西欧のように、音楽を自分たちで生産して受容するというあり方での音楽文化が音楽を保存・再生する技術によりスポイルされてきた、という歴史を辿らずに、自文化(三味線を自分たちで弾いた楽しむ、などの音楽を自己生産する文化)を捨てて異文化(家族でピアノ演奏を楽しむ、というよりは、西洋音楽というステータスを与えてくれる蓄音機とか)を受容したのに伴って、音楽を自分たちで生産して楽しむ、という文化を捨ててしまったらしい。
そういえば、確かに、現在の僕らの周りで音楽と呼ばれるものたちは全部、何らかの「プロ」に向かう方向性を持つものばかりである。クラシックが好きな人は勿論、バンドマンたちも「プロ」で「ほんもの」のバンドマン(誰でも良いけど、例えばストーンズとか、おやまだけいごとか、たけむらのぶかずとか)を目指す方向に向かわざるを得ない音楽しかやってないやつばっかである。そう考えると、たいがいの音楽家は、権威主義的なくずばっかなのである。
そのような現況をかんがみるに、「みんなのうた」は、音楽を民衆の手に取り戻すための大いなる武器となるはずである。僕らは、誰がつくったのかも分からない歌を、まるでそれが自分のものであるかのように覚え歌い、楽しむ文化を取り戻すべきなのである。「みんなのうた」を、ほんとうに「みんな」の所有物である、と思い込んでしまえる文化を取り戻すために、「みんなのうた」は更に人口に膾炙していくべきである。
とはいえ、最近CDが再発された高橋ゆうじの「水牛楽団」の失敗を知っている我々は、もはや無邪気に「今や時代はアマチュアのものである」と宣言することも出来ない。恐らく、せいぜいリオタールさんにならって、「ほらここにこんな種類の、ほかとはちょっと違う音楽もあるよ」というくらいが関の山ではないか、とも思う。僕らは既に、一人称複数形で何かを語れるのかどうかさえ自信がない世代なのだから、「みんなのうた」を「みんな」のうたとして思い込むためには、それなりの方法を考え出さないといけない、というのもほんとなのだと思う。
終わり
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ちなみにこの一週間後、僕は「殺人」という行為に匹敵するものとして「音楽的な行為」を位置づけることは可能かどうかを考えている。
昔の自分になかなか共感できない事例ですな。
2008年1月28日月曜日
コーヒー&シガレッツ
コーヒー&シガレッツ
ケイト・ブランシェット ロベルト・ベニーニ スティーブ・ブシェミ
後輩を中川家でもてなした後、夕食食べてから見ました。素敵でした。オチとか伏線とかそういうのは何もなくて、リラックスして見てたら良い、ちょいとしたエピソードが幾つかある映画でした。コーヒー飲みながらタバコ吸ってる時に流れている時間になされる幾つかのちょいとしたエピソードたち。不思議なのは、屋内でタバコを吸えるカフェなんか2005年のUSAにはもうあんましなかったのではなかろうかということです。トム・ウェイツとかはcofee and cigaretts generationらしいです。コーヒー・カップで「乾杯」というコワザが素敵でした。
ザ・ホワイト・ストライプスの兄妹が出てて、この兄妹が誰か分かったことにびっくりしました。けっこう特徴的な顔つきなわけですな。いとこ二人の話が(二つあるけど、どっちも)面白かったです。
こういうのをオサレ映画として宣伝するのはもったいないと思うのだけどどうなんでしょうねえ。ま、あんまし色々考えたくない映画でした(忘れたい、ってんじゃなくて、リラックスした記憶だけを持っていたいので)。
2008年1月27日日曜日
新居
12時頃に突発的に、次に住む場所を下見しようということになったので、レンタカー借りて行ってきました。公団だけど「社宅」だし、まだ清掃中とかなので部屋の中は見れないことは分かってたので、周りの雰囲気とか知るために。
車で茨木から高速使うと一時間から一時間半の距離。
イオンがあるとは聞いてたけど、イオンしか見当たりませんでした。茨木の文明館のような場所を見つけられると良いのにと願うばかりです。
広くなるし住居費は下がるけど、5階なのにエレベーターが無くて、代わりに、3階より下にはついていないけど4階より上には、「網戸」がついているそうです。
何年住むか分からないけど、次は高の原に住みます。茨木は一年でした。たぶん、二度と集合住宅マンションには住みたくないと思うようになるんだと思われます。
ますます部屋に引きこもりそうな予感がする。
2008年1月25日金曜日
2008年1月24日木曜日
2008年1月23日水曜日
過去
ちょいとしたきっかけと、夜眠れなくなったので、2003年10月21日に自分が何してたか思い出そうと思って、昔のメモとか昔のOKミュージック・ボールのHP(このウェブサイトはもう削除した)とか探して自分のパソコンの中身を探して、一時間くらいかかった。昔管理してたペギー葉口のひきこもり青春日記ウェブサイトのファイル群は見つからなかったけど、OKのウェブサイトのファイル群は残ってた(なんでかな?)。
面白かった。
僕(たち)は、HPには嘘も書いていたし、しがらみにまきこまれて生きていたらしい。
その他に分かった幾つかのこと
・僕は「ですます」調で書いていた。
・僕はスタイル・シートを使えていて、vine linuxを使おうとして挫折した。
・「かぼちゃ」は「カンボジア」にちなんでいる。
・文豪とかクラシック音楽にはまったりエロビデオ屋のバイトに落とされて美術館で新聞を切り抜くバイトをしたり千葉に行こうとして長野で二泊三日した夏の後の秋。
・僕は全くモーニングむすめ。には興味がなかった(し、今もない)のに、何かの手土産にこれを、わざわざ縦二段組に組み直してきちんとカラーで印刷して真中で追って製本した上下二巻本を貸して頂いた。
・この頃、身長が149.5㎝に伸びたので「この感動をみんなにわけてあげたい!」と思った人物がいる。
・友達の子どもが生まれ始めた時期で、留学準備をはじめた時期。車を手放したばかりで、その年の12月に城陽に引っ越したので、僕が京都市に住んでた最後の時期。つまり脳みそが生まれた時のままだった最後の秋。この後、脳みその量が少し減って(何g減ったのかは知らない)、この一年後にあんな時期を過ごすことになる。
・OKのアルバムを出した翌年で、OKもあわせて三つバンドしてて、もう「ヘルプ」ではドラムを叩かないことにしていたはずだけど、まだ月に数回はライブしてて、青山とか尾道でライブしたり「ファン・レター」を貰ったりクアトロでライブしたりアンパンの大晦日ライブに出たりしてそれなりに面白かった。
・ことが記録から分かるのだけど、あんまし覚えていない。
・過ぎたことは今の自分にとって都合よく解釈し直していかないといけないと思うし、僕の場合、この後の強烈過ぎる変化が今の自分にとって大きいと思うけど、今の自分の表面的な部分の大半は、この京都時代に形成されたはず。で、大学用に、そういう側面を隠すためのペルソナを形成していった記憶がある。着けてると仮面が「本質」になると思うので、仮面が形成された経緯はそんなに重要ではないと思うけど、忘れないようにはしておこう。何かの役に立つかもしれない。とりあえず、まだ「後悔」してない。
・この頃に僕が大好きだったのは、Royal Truxの"Yellow Kid"。
Yellow Kid
・僕が「過去」を再確認しているのは、たぶん、博士論文試問を終えたのにほとんどの人が博士論文の内容にあんまり興味が無さそうだったからだと思う。博士号を「与える」ことが業績になることは分かるけど、あんまし人を壁紙のように扱わないで欲しい。博士論文の「内容」には全く興味の無い人間しか「僕が博士論文を書き終えたこと」に言及しないというのは、どういうことか。
・博士論文とはその程度のものでしかないということかもしれん。
・なんかそんな気がしてきた。
・つうかそうだろう。
・もういいや。
2008年1月22日火曜日
ジョージ・マーティン『ビートルズ・サウンドを創った男―耳こそはすべて』
ビートルズ・サウンドを創った男―耳こそはすべて
ジョージ マーティン George Martin 吉成 伸幸
CloseBox and OpenPod > ビートルズの「著作権問題回避手法」 : ITmedia オルタナテ?
CloseBox and OpenPod > エンジニアから見たビートルズサウンドの真実 : ITmedia オ?
1980年には日本語訳が出てて、文庫本まで出てたらしいけど、僕が入手したのは、2002年の河出書房新社のもの。
ものすごい面白かった。
「プロデューサー」の"誕生"本とか、「ステレオ録音の登場」の本として読めるけど、その理解が正しいかどうかは別。ゲンダイオンガクを聞くのはゲンダイオンガクを作る人たちだけなので、自分たちが作っているものこそが同時代の音楽なのだという自負はもっともなのだけど、なぜそれが当然のことと考えない人々がたくさん(?)いたのかという問題を僕はほったらしかしてきたのかもしれない、と思った。
ビートルズ関連のエピソードよりも、技術的なエピソードを読み直すことになると思う。
2008年1月21日月曜日
博士論文試問
スーツ着てみたけど、事務の人と後輩の一人にしか触れられなかった。「スーツ着ている人」は珍しくも何ともないので仕方ないのかもしれない。
ものすごく簡単にまとめると、問題構成はすっきりしてるかもしれんけど、切り捨てたところが多過ぎた、ってことだろうか。ケージの相対化より、相対化した後にケージの魅力を語らねばならないのだろう。
この爽快感のなさは何だろう。達成感はもう昨年味わったからもうないということか、あるいは、区切りではあってもまだ何もはじめられていないということか。
どっちにしろ、何か新しいことを始めないと何かに埋没してしまいそうだ。
2008年1月20日日曜日
ZOOM RT-234: Rhythm Talk
FAQ RT-234
Download Manual: "RT-234 RhythmTrak"の説明書:便利な時代になったもんだ。
【楽天市場】フットスイッチFS01 の検索結果:通販・イン: "ZOOMフットスイッチFS01":これがあるとBDとして使えるらしい。
MIDIアウトはないし、SONGを作ってもSDカードとかにも何にも記録できないのだけど、でもこれは面白いおもちゃ。指ドラムがすごく簡単にできてしまう。ちゃちいけどヴェロシティもあって、パッドを叩く時の指の強弱で音の強弱も変わるし。遊ぶから、2900円ならまあ良いだろう、と思った。
ちなみにヴェロシティは「音の強さ」という意味だと思ってたけど、velocityという英単語の意味は「速さ」だったということを最近知った。
→
Alison on the Behance Network: "Alison":良い写真な気がする。
2008年1月17日木曜日
北
反省することは多々あれど、少なくとも先週よりはましだったと思われるけど、なかなかぴしぃーと言うのは難しい。が、今年度のSAはえらいしっかりした子だったのだけど、教師の秘訣は、断言すること、らしい、とのお言葉を頂いた。
まあそーやろなー。
他にも異論はあれど、自分はこう思う、というのが大事らしい。
来年度はシメなので、来年度のテーマや。もちっとメジャーな内容にすることと。
でもとにかく今年度の木曜五限は終了。
→
店長就任2周年 - 京都出町柳レンタサイクルかりおん
→
ビルゲイツになりたいアメリカ人:47% - Engadget Japanese
2008年1月16日水曜日
再作成
先週の木曜日の衝撃をこの週末で何とか緩め、幸いもう月曜は休みなので次の木曜日に向けてねたを作り直した。様々な雑用こなすために京大に行ってパソコンのメンテナンスが全くされてないのに驚いたり(デフラグしてないことや言語設定を混乱させたままだったことが原因の不具合をみんな「あのパソコンは故障して壊れた」と言っていたらしい)、かりおんの二周年をチロルチョコの箱で祝ってあげたりしつつ。
いまいちまだ詰め切れていないけど先週よりはましだと思いたい。
何に時間使ってんだ、僕は。
これらも「しょせんマイナーなワケ分からんこと」なんだろう。
3/5×3/5は9/25なので、つまり再来年度は36%になる。
「何か」面白げなことを探そう。
2008年1月15日火曜日
北の国から 初恋
北の国から 87 初恋
田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子
録画してあった、つるべが朝まで生で話す年末番組を途中まで見て、様々な昭和の人生を生きていく家族の話にスイッチした。
どうやったらこういう駄目な父親にならずに済むか考えてみようとしたけど分からない。
僕の妻は大晦日にこれを自分の実家で見るつもりで荷物に入れてたのだけど、見なくて良かった。
でも最後の一万円札のくだりはとびぬけてすごかった。ふるおやまさとは何と美味しい役どころなんだろう。
こういう尾崎豊の聴き方を全くしなかった尾崎ファンはこの時期にもたくさんいると思う。でも、どっちにしろ窮屈な世界に生きているようにしか見えないのが嫌だ。尾崎豊が歌うところのいつかたどり着くかもしれない自由な場所はかなり近い場所でしかないのではないか、と思った高校時代を思い出す。僕が和歌山から逃げ出したかった理由の一つだったはず。
15ってけっこう大人なはずだよなあ、とか思う時点で自分はもう三十路なんだなあ、と思った。別にそんなたいそうな場所にたどり着いたとは思わないけど(その前に、どこかに「たどり着いた」と思うことはないと良いと思うけど)、色々な場所に移動できることを学んだことは大きい気がする。
2008年1月12日土曜日
安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語』
「唱歌」という奇跡 十二の物語―讃美歌と近代化の間で 文春新書 (文春新書)
安田 寛
「唱歌」の成り立ちをしっかり理解していないので、ハワイ、韓国、中国等々の状況と比較すると「日本の唱歌」はある種の「奇跡」だ、という話は、ほほー、と思った(3-7)。ただ、賛美歌を「高み」と呼び、私はその高みから唱歌の世界を覗いているのだ、という記述や常体と敬体の混合(ともにあとがき)があったり、全体的に突っ込みと深みが足りないという感想を持った。でもこの新書で唱歌の全体像を得られると考えるのが無茶なので、この新書は、唱歌の成り立ちには実は「賛美歌」が深く関わっていたこと、を教えてくれるものとして位置づけておくこと。「唱歌」全体の入門書にはならないけど、「唱歌」について勉強して、唱歌と賛美歌とのつながりについて考える時の横糸に使える本として考えておくこと。
けっこう焦点の合わせ方が偏っている気がする。唱歌の成り立ちに伊沢修二やメーソンが果たした役割の大きさがあまり言及されていない気もする。勿論されてないわけじゃないけど、これでは、「なぜ唱歌が要請されたか」ということが、あまり分からないんじゃないだろうか。ので、幾つかの背景的知識を自分で補いながら読まないといけないのだと思う。で、そういう読み方をすると、幾つかは、これ何だ?と思うものもあるけど、なかなか面白い章もあった。全部けっこうな速度で読める新書だった。最近新書ばっか読んでるなあ。
2008年1月11日金曜日
ken yoshii exhibition
Gusto House
近大の学生の展覧会。video installationらしい。個展かな?
神戸市とは元町より西にあるらしく、とても行ける気はしないけど。
モノクロームなお知らせの葉書だったので、scansnapは最初白黒としてスキャンしたけど、白黒じゃない。
展覧会をすること、って楽しいんかな?全然予想がつかんぞ。
ubuntu
2008年のうちに、Ubuntuで仕事できるようにする!
2014年3月までにXP使うのを止めればいいらしいけど。
ラップトップをどうするかはまだ分からない。
ということでubuntuのラベルを作った。まずはIbarakiのubuntuラベルの内容をここに写しておく、と。
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Linux -- Ray:雑学事典
1CD LinuxをUSBメモリから起動するには - @IT
myPdisc : データの保存可能なLiveDVD Linux
Linuxのディレクトリ構造の一覧 - GIGAZINE
1.みんなでつくる 「レッツ! Ubuntu」: gOSのインストール & 日�
TechCrunch Japanese アーカイブ » gOS新バージョンはGoogle Gears搭載、来週月曜CESで公開
gOS - Discover a good OS.
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Viva! Ubuntu:Windowsマシンとのファイルのやりとり: "Windowsマシンとのファイルのやりとり":まず何かインストールしないといけないらしい。
→
「システム」-「システム管理」-「フォルダの共有」を出す。するとSMB、すなわちsambaをインストールすることになる。
→
できた。再起動したら、他のPCを認識し始めた。やった。
次は、個々のファイルの再生方式の準備。コーデックとかか?
めんどくせえ。
→
mp3は再生できるようになったのに、コーデックは要らないoggが再生できないのは、ネットワーク関連の設定が問題らしい。
ブックマークを同期してくれるFoxmarksは便利。
も、いっか。
仕事せな。
→
いつものように、長くなり過ぎたので、明日、削ること。
今後は「短く書くこと」を目標に書くこと。
なんだか人生の目標がちっちゃいものになってきたなあ、と思うので、気をつけること。
→
Linuxコマンド逆引き大全 Index:ITpro:とりあえず、今後は、初めから日本語化されているUbuntuを入れることにしよう。
で、「システム」-「システム管理」-「フォルダの共有」で、Winのファイルを見れるようにする、と。
で、WinからUbuntuのファイルを見るためには、Sambaのパスワード設定を行わないといけない。そのコマンドはグーグルで検索したら出てくるので、それをする、と。
あと、UbuntuからWinのファイルを実行すると、Oggが再生できなかったのは、Ubuntuの側の関連付けがおかしかったからで、これはすぐに解決した。
なぜOpen Officeで作ったファイルを開けないんだ?
これを解決しないと、何かに使えない。これは、音楽再生機として使う必要はないし。
emacsとやらはインストールしたので、「アウトラインエディター」として使えるのかどうか、階層化テキストを使えるのかどうか、調べること。Wz Editor的なものがなければ、それだけの理由で、僕はWinから離れられない気がする。
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ubuntuのアンインストール方法
1.WinXPのインストールCDを用意して、回復コンソールを出す(F10を押してたら出てくる)
2.「fixmbr」というコマンドを実行する
3.「マイコンピュータ→管理→ディスクの管理」を選んで、ubuntuが入っているパーティションを削除する。
Ubuntu日本語チームのリポジトリを追加してアップデートをかければubuntustudioは日本語化できるかもしれないらしいけど、最初から日本語化されたubuntuにubuntustudioの色々なものを加えたほうが楽。
→
Viva! Ubuntu » EcoLinux1.7.0.1 やはりキビキビ動きます
Viva! Ubuntu:Windowsマシンとのファイルのやりとり
→
オープンソース/Linux:ITpro
→
H.UNCLIPPED Ubuntu7.10、Scansnapもバッチリ!?
2008年1月10日木曜日
2008年1月7日月曜日
携帯からの投稿
以後、修正と更新をして、セットをもう一個作って、少人数用に、学生に調べて報告させる、というやり方を考えて…。
仕事始めの今日、どこよりも早く、今年度の関大が終わった。プランダーフォニックスとクリスチャン・マークレイだったのだけど、どっちも一時間では足りない。かなりはしょった。
狭い部屋はやりやすいけど、関大は、たくさんの大教室を作ってるらしい。300人相手の教養科目の講義って…。
2008年1月6日日曜日
新年会(みたいなもの)
年くったらあんまり何も考えなくても色々変わるもんなので、色々なことはいきなり変えてしまおうとしなくて良いやと思った。あんまり気にせず、何となく残ってるものは使いつつ、残ってないものは、仕方ない、と。
ということなので、僕は僕で、ホームページを立ち上げる準備を進める、と。
→
確かに</war>は検索できないことを知った。ほほう。