2009年5月23日土曜日

奥中康人『国家と音楽─伊澤修二がめざした日本近代』

国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代
奥中 康人
4393930231
研究のためというより勉強のために読んだのだけど、めっぽう面白かった

基本的には西洋音楽の受容状況を考察したもの。縦軸に、鼓手としてキャリアをスタートして、大学南校の中でもエリートとして留学し、主として明治期日本で教育学に大きな功績を残した伊澤修二を織り込んでいる。

何がこんなに面白かったのか?


歴史的事項の綿密な発掘、独自の視点に基づく大胆な解釈、そうして浮かび上がる明治期「音楽」の新鮮な外観。
色々あるけれど、「細かな調査の積み重ね」と「そこから導き出される新鮮な視線」が面白かったのだろう。

本書では、例えば、いわゆる「日本における西洋音楽」という言葉で念頭に浮かぶものの「起源」として、幕末の鼓笛隊の「ドラム・コールやドラム・マーチ」が分析される。軍制改革は、人々の身体を教育するために(例えば、大勢の人間をスムーズに方向転換させたり走らせたり等々するために)行われた。「音楽」はそのために輸入されたのであり「芸術」のためではなかった。
あるいは、岩倉使節団がボストンで行われた「太平楽会」という大きなコンサートに関する記述が、大作曲家であるはずのヨハン・シュトラウスには触れずに、愛国心に関する記述に変わる理由も、鮮やかに解釈される(76-85)。岩倉使節団にとって、「音楽」とは何よりもまず「教育音楽」だったから。「音楽」がまずは「教育音楽」だったってのは、当時のボストンでもそうだったらしい。
等々。

細かくて具体的な情報の収集だけならつまらないけど、それらを具体的かつ明晰に解釈してくれる。
それにその解釈は、「音楽」という言葉に染み付いている色々なアクを抜いてくれる。
21世紀なのに、明治期日本の「音楽」の研究が面白い理由だろう。
個人的には、「音楽」という言葉で「西洋(芸術)音楽」とか「ポピュラー音楽」だけを念頭に置く習慣は、無意識に抜きがたくまだ自分の中に残っていることに気づいた。

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なんか最近、あまり生産的ではないけどしなければいけない仕事に追われていて、明治期日本の「音楽」の勉強もその一つだったのだけど、これは面白かった

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