2009年5月31日日曜日
2009年5月29日金曜日
AM図書館(だいちゃん)
で、結局、大ちゃんからのライブのお知らせでした。別れて九州に帰ることになった、とか、誰かがこの世からいなくなった、とか、そういうお知らせではなかったので、そんな感じのニュースをひきおこしたことがある人間として、ほっとしました。
ということで、京大に調べ物しにいって、帰りに遠回りして北白川のヴぃヴぁらむじかに行くことにしました。
ら、なんと、京大の図書館が月末でお休みで(もう五月が終わる!)、結局、ヴぃヴぁらむじかにだけ行くことになりました。
二年以上会ってないはずなのにあんましそんな感じはしなくて、ライブ(というか、一人でするパフォーマンス。楽器弾いて歌うとかじゃない。)も、相変わらず不自由な中であがいてる感じで、久しぶりなのですごかったです。
毎日ならはらたつだろうけど、僕は大ちゃんと結婚してるわけじゃないので、大丈夫。
で、そんな不自由な中であがいてる様子を、自分の妻と娘と息子の前で、心の底から真剣にしてたのだけど、なぜこの男はこんな風なんだろう。と思いました。
渚(息子)がノリノリだった。
「じゃあ、コール&レスポンスで。愛とー」に、しっかりと
「真実ー」
と答えてました。(三才らしい。)
ま、そういうのは良いとして、元気そうで良かった。
パンクバンドしたらいいねん。
けっこう忙しくて金もなくて大変らしいけど、でも、仕事仲間もいるし楽しそうだったし。
した話はだいたい忘れたけど、面白かった話。
最近、だいじろうは、やってみたくなって、マクドで深夜バイトやってみたそうです。で、あれは大学生のバイトだ、ということを発見したそうです。僕のいっこうえで、ちゃんと福祉の仕事してるのに。しょうちゃんは、もう小学二年生なのに。
人が世間とか社会を知る方法は様々だなあ、と思いました。
ま、いって、顔見て少しだけど話できて、良かったです。
→
VIVARTA
対バンというか、職場の後輩で友達らしい。高の原は遠いし、べえ・しょう・なぎさが帰るのと一緒に帰ったので見てないけど、YouTubeというのは便利なもので、たいてい、見れてしまうのだなあ。
そこで、ふと、携帯で撮影した「AM図書館」の映像をYouTubeにあげてみよう!と思った。
イデモト家やその周辺とはほとんど交遊もないし、彼らはネットを使わないから、ばれないだろうと思った。
のだけど、携帯で撮影した動画をPC上で再生できない、という問題に遭遇した。
なんだよー。
→
いや、元気そうで良かった。
勝手にアップロードしたけけど、怒りませんように。
2009年5月28日木曜日
フレディ・マーキュリーが日本語でインターナショナルを歌う映像
フォルマント兄弟アルスエレクトロニカ入賞!らしい。
21世紀に入ったばかりの頃、このフォルマント兄弟が好きで、Read Pleaseとかいう名前のフリーソフトを使って合成音声を歌わせてDTMごっこしてたことを思い出す。「人工合成音声」について、プログラミングもできないまま、趣味程度に情報集めてた時期がある。「プログラミング」とか理系の知識があればなあ、と、初めて思った時期かもしれない。
ギターは内橋和久らしい。
だから、今でもばりばり活動している人たちに対して失礼な話だけど、僕の個人史においては、なんだかノスタルジックな感じ。
Le Tombeau de Freddie
ここに、映像と音楽と説明PDFがある。
まだ読んでないけど、映像だけ見た。
面白いなあ、と思う。
単なる人工合成音声じゃなく、ある特定の個人の(いわゆる”ロック・スター”の)声の再現(?復元?)。初音ミクと違って、サンプリング・テクノロジーは使ってないんだな、きっと。
と思うが、テクニカルな話はさっぱり分からない。残念。
あと、「アルス・エレクトロニカに入賞したこと」が、どこでどのくらいすごいことなのか、もよう分からんけど。
あと、僕は両方知ってるけど、フレディ・マーキュリーとインターナショナルは、どこでどの程度知られてるのかもよく分からん。
つうか、こういう作品は、何なんだろう?
とりあえず面白がった後、どんな風に接すれば良いのだろう?
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なんで僕はインターナショナルを知ってるんだろう?と思ったけど、たぶん、これ↓。
大工哲弘の名作だと思う。他のアルバムより好き。
でも、どんな風に評価されてるアルバムなのかよく知らない。
→
このポストを書いてからアマゾンのページを見たら、これ、中古で9500円?
なんで?
リイシューされないの?
ジンターナショナル
大工哲弘
2009年5月25日月曜日
名前に決められる。
妻が隣でやってたので、本名でやってみたら、けっこうな占い結果でした。
少しでも当てはまっているようにも思えないので、何も思わんけど、名前だけで運命を宣告されるのは腹立つもんだなあ、と思いました。
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画数と良運 赤ちゃんの命名・名付
中川xx の画数・良運
天格 7 | 吉 |
| 強い意志 独立心 |
| 名門です。家訓をまもり、男性を中心に栄え、女性は女傑が多いようです。 |
| 天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断しません。 |
人格 10 | 凶 |
| 多難 大凶 |
| むら気で凝り性です。配偶者や実子、親との縁薄い傾向です。 |
| 人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。 |
地格 14 | 凶 |
| 孤立 不遇 トラブル |
| 気苦労性で、一家の柱となって活躍します。じっとしているのが苦手で、努力家、料理が得意、正義感もあります。 |
| 地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運勢を表します。 |
外格 11 | 吉 |
| 幸運 富 地位 |
| 人からは、いつもニコニコ、社交上手、話術が巧み、友人、親を大切にする、見栄っぱり、金づかい荒い人というように見られています。 |
| 外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。 |
総格 21 | 吉 |
| 独立 統率力 名誉 |
| 常に人の先頭を行く。権力欲、征服欲強くグループの長として活躍。体力もあり晩年まで実力者、などの特徴があります。 |
| 総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表します。 |
2009年5月24日日曜日
川上弘美『神様』
神様 (中公文庫)
川上 弘美
初「川上弘美」体験。
まだあまり分からないままだけど、なんだか石川淳みたいなだなあ、と思った。
御伽噺ではないほら話。
村上春樹よりも「透明感」があるように思う。
(というか、そもそも「村上春樹」はその「透明感」を誉められるような小説家ではないと思う。)
「ウテナ様」と河童の国に行って恋愛相談されて、でも「ウテナ様」は恋愛相談の相手をするような存在ではないし、それどころかウテナ様も最近失恋したばかりらしいし、「ウテナ様」に相談しようとした河童の問題も解決しない、という話があったりするのだけど、そもそもこの「ウテナ様」が何者かとか何が出来るのかとかそういう説明はない。
「相談されたけど、でも別に話し合いにはならなかった」とか、そういうコミュニケーションの流れ、展開"が主題なのかもしれないけど、小説は論文ではないので、「何が主題か」とか考えて読んでも仕方ない気もする。
もうちょっと読んでみよう、と思った。
ということは、久しぶりに、「新しい小説家」に関心を持った。
2009年5月23日土曜日
Danger Mouse
デンジャー・マウス、EMIに対抗して空っぽのCDRを発売!!
米国の人気 DJ、EMI との著作権トラブルに対抗してブランク CD-R を「アルバム」としてリリース
1.
今日、初めて知った。
ビートルズの「White Album」とJay-Z の「Black Album」をミックスしたアルバム「Gray Album」をリリースしたけどEMIに出荷停止にされてBitTorrentでアルバムを無料配布したDJ Danger Mouseが、Blank CD-Rをリリースするらしい。(16 May 2009時点の記事で「Music producer Danger Mouse is to release a blank CD ...」なので、まだリリースしていないみたい。)
(DJ Dangermouse - The Grey Album download)
2.
へー、と思って、元の記事を斜め読みした。
よく分からないけど、EMIに新しいアルバムのリリースを拒否されたから、Blank CD-Rをリリースして、音楽データはオンラインで配布するらしい。
スラドには「ダウンロードできる」と書いてあったけど、僕はダウンロードできるリンクは見つけられず、ストリーミングしか見つけられなかった。
『Dark Night of the Soul』というタイトルのアルバムで
Sparklehorseというロック・グループと一緒に作ったもので、どういうことか分からんが、Iggy PopとThe Flaming Lipsをフューチャーしたアルバムで、そんで、なぜか、デヴィッド・リンチのアートワーク(写真とか)が付属しているらしい。
(デヴィッド・リンチは、何をしてるんだろU?不思議だ。)
で、ブランクCDRには「For Legal Reasons, enclosed CD-R contains no music. Use it as you will.(法的な理由で、同封のCDRには音楽は記録されていません。自由に使ってください。)」と書かれるらしい。(まだ実際にはリリースされていないので決定ではないのだろうけど。)
3.
ここから聴けるので聴いた。
かっこよかった。The Grey Albumしか知らなかったけど、DJ Danger Mouseは、Madlibのように面白い音楽家なのかもしれない、と思った。
でも、「Blank CD-Rでリリースしなければいけない音楽」(そんな音楽があるとして)には聴こえない。「普通」に、記録済みCDでリリースしたら良いんじゃないか、と思った。
一回流して聴いただけでは、EMIにリリースを拒否される理由が分からなかった。
4.
ブランクCDRをリリースして、音楽はダウンロードしてくれ、というやり方について。
「記録済み音楽CDの販売を"過去の行為"としてパロディ/パスティーシュする行為」だとか「音楽の流通のあり方の変化を告知する出来事」だとかなんか考えてみようとしたのだけど、それって、僕が考えるよりも上手く考える人がいるに違いない、と思った。
時代とか社会の変化を受け入れて理解するのに役立つ言葉とか。
全く使えないのは話にならないけど、僕は、そういうことを「予知」する立場にはいないだろう。別にレコード会社で働いているわけでもないのだし。
5.
それより、「PCを使って、ネットから音楽データをダウンロードしたり、そのデータをCD-Rに記録することができない人々の行動」って、面白そうだなあ、と思った。
PCとかネットを使って音楽とつきあえるかどうかは、テクノロジーに対するリテラシーの有無が、その行動様式を根底から分けてしまう、分かりやすい事例のはずだ。
一見外からは分からないけど(例えば、ネットを使う/使わない、に、必ずしも学歴は関係ないとか)、実は全く異なる行動様式を持つ人々は、どのように同じ一つの社会の中で共存するのか?とか。
6.
ま、これも、僕が考えるべき問いではない気がするけど。
ふと思いついた、ちょっとした教訓。
誰かが音楽(の将来)とテクノロジーについて語っている場合、話している人が「その話が当てはまるのはどういう種類の人々かを考えているかどうか」に注意しよう。
その意味では、僕が2008年に書いた(けれど、仕事にはならず埋もれてしまった)ものは、よくないものだったな。
と反省。
→元ネタの記事はここらへんか?それとも他にソースがあるのか?
Exclusive First Listen: Danger Mouse And Sparklehorse Team Up With David Lynch : NPR Music
BBC NEWS | Entertainment | Danger Mouse to release blank CD
→
僕の好きなMadlib。分かりやすいから。
Shades of Blue
Madlib
奥中康人『国家と音楽─伊澤修二がめざした日本近代』
国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代
奥中 康人
研究のためというより勉強のために読んだのだけど、めっぽう面白かった。
基本的には西洋音楽の受容状況を考察したもの。縦軸に、鼓手としてキャリアをスタートして、大学南校の中でもエリートとして留学し、主として明治期日本で教育学に大きな功績を残した伊澤修二を織り込んでいる。
何がこんなに面白かったのか?
歴史的事項の綿密な発掘、独自の視点に基づく大胆な解釈、そうして浮かび上がる明治期「音楽」の新鮮な外観。
色々あるけれど、「細かな調査の積み重ね」と「そこから導き出される新鮮な視線」が面白かったのだろう。
本書では、例えば、いわゆる「日本における西洋音楽」という言葉で念頭に浮かぶものの「起源」として、幕末の鼓笛隊の「ドラム・コールやドラム・マーチ」が分析される。軍制改革は、人々の身体を教育するために(例えば、大勢の人間をスムーズに方向転換させたり走らせたり等々するために)行われた。「音楽」はそのために輸入されたのであり「芸術」のためではなかった。
あるいは、岩倉使節団がボストンで行われた「太平楽会」という大きなコンサートに関する記述が、大作曲家であるはずのヨハン・シュトラウスには触れずに、愛国心に関する記述に変わる理由も、鮮やかに解釈される(76-85)。岩倉使節団にとって、「音楽」とは何よりもまず「教育音楽」だったから。「音楽」がまずは「教育音楽」だったってのは、当時のボストンでもそうだったらしい。
等々。
細かくて具体的な情報の収集だけならつまらないけど、それらを具体的かつ明晰に解釈してくれる。
それにその解釈は、「音楽」という言葉に染み付いている色々なアクを抜いてくれる。
21世紀なのに、明治期日本の「音楽」の研究が面白い理由だろう。
個人的には、「音楽」という言葉で「西洋(芸術)音楽」とか「ポピュラー音楽」だけを念頭に置く習慣は、無意識に抜きがたくまだ自分の中に残っていることに気づいた。
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なんか最近、あまり生産的ではないけどしなければいけない仕事に追われていて、明治期日本の「音楽」の勉強もその一つだったのだけど、これは面白かった。
2009年5月21日木曜日
小沼純一(編)『ジョン・ケージ著作選』(ちくま学芸文庫、2009)
ジョン・ケージ 2009 『ジョン・ケージ著作選』 小沼純一(編) ちくま学芸文庫 東京:筑摩書房。
ジョン・ケージ著作選 (ちくま学芸文庫)
小沼 純一 John Cage
まさか、ジョン・ケージ関連の新しいアイテムが出版されるとは予想していなかったので、ちくま学芸文庫だから1000円以上するけど、でも、文庫本で出たことを知ってびっくりした。
収録されているジョン・ケージの文章は、以下の通り。
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音楽愛好家の野外採集の友
合衆国に於ける実験音楽の歴史
実験的音楽ジョン・ケージ
ダニエル・シャルルの33の質問に対する60の答え
インタビュー集 ケージの音楽-1970年以降
われわれはどこで食べているのか?そしてなにを食べているのか?
作曲を回顧して
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基本的に、リブロポート社の『MUSIC TODAY』 のケージ特集(No.18)と1980年の近藤譲(編訳)『音楽の零度 ジョン・ケージの世界』(朝日出版社、1980)に収められていた日本語訳を再録したもの。
ジョン・ケージ 1996 『サイレンス』 柿沼敏江(訳) 東京:水声社。からは使われていない。
理由は不明。翻訳権とかの関係か?
僕にとってはどれも馴染みのテキストだし、僕がこれを読んでジョン・ケージについて新たに何かに気づくということはないと思う。
が、ケージの文章の邦訳は絶版になってるものが多いので、文庫であると、最初のきっかけには良いのかもしれない。これもすぐに絶版になるかもしれないけど。
「ジョン・ケージを全く知らない人」でケージの音楽を聴くだけではなくケージの文章を読んでみたい人にとっては、最初のきっかけとしては良いのかもしれない。
が、だったら、ケージが英語でやってるフォントや段組の実験とか、メゾスティクスは、再現しないほうが良いと思う。二つ以上の文章が分断され、フォントだけで区別されて同時に掲載されていたり、本を上下左右逆にして読んでみたりしなければいけないのは、よみにくい。
ということで、
1.ケージのタイプグラフィーの実験を日本語で再現しようとするのはかっこ悪いなあ、ということを再確認し、
2.絶版にならなければジョン・ケージの文章への最初の入門として紹介できる(そうする必要とか価値があるかどうかはともかく) と思った。
ま、世の中には色々な物事があったほうが良いと思う。
2009年5月18日月曜日
memo-orangeflux design
orangeflux design
lettersをcomposeしてvisual recordingする人々らしい。
「タイポグラフィーの実験」は、磁気テープが登場する以前は「声、朗読の実験」のための手段だったけど、磁気テープの登場以後も「visual music」のための手段として用いられている、という事例
Sonic Graphics/seeing Sound
Matt Woolman
『ロスト・イン・トランスレーション』をDVDで見て、その翌日のニュースに驚いた。
ロスト・イン・トランスレーション [DVD]
ソフィア・コッポラ
日本語が分からない人が見たら、素直に(=監督の意図どおりに)「外国で不安になって恋に落ちそうで、でも恋に落ちるわけじゃない年の離れた男女」の物語として見れたのかもしれない。
でも日本語分かるしなー。
あと、外国にしばらく滞在するなら、その国の言葉を少しでも覚えろよ、とも思う。
スカーレット・ヨハンセンはキュートだったしビル・マーレイはかっこよかったけど、でも、なんかあんまし共感しきれないなあ、と思った。
「日本」の描き方が偏っている云々という意見々は、まあ、愛嬌みたいなもんで、あんましどうでも良いんじゃないかな、と思った。
アメリカ人は「外国」には興味なんかないんだから、あんまり期待しちゃいけない。
全体的に80年代っぽくてなんか古いなあ、と思ったのは、ジザメリとマイブラの音が流れてたからだろう。
それより、松本人志が結婚!というニュースを知ってびっくりした。
だから「放送室」は終わったのか!とか。
この「喪失感(みたいなもの)」はなんだろう。
ダウンタウンって、30代前半くらいにとってはすげーんだな、と思った。
それとも僕だけか?
ま、他人事なんで、どうでもいいっちゃ、いいけど。
ただ、昔の同級生たちはどう感じるんだろう?ということを知りたくなったニュースだった。
(「どうでもいい」って奴のほうが多いんだろうなあ…。)
2009年5月17日日曜日
2009年5月16日土曜日
2009年5月8日金曜日
Theo Jansen テオ・ヤンセン
妻が職場or研究室or毎日行くところの先輩から借りてきたもので、僕は昔「これ、すげえ」と言ってたらしいのだけど、僕は全く何の記憶もなくて、でもすごかった。
節足動物ロボットに見えるけど、何がすごいって、これ、全て、機械式なのだ。
つまりは、江戸時代のからくり人形とか19世紀以前のオートマタみたいな代物なんだな。
機械式ではどうもならんし他の色々な要因もあってパラダイムが変わって、電力とかこんぴゅーたとかが使われるようになったのに、今でも、これくらいに作りこまれた機械式ロボットには「いのち」を感じてしまうのは不思議だ。「機械式」なパラダイムがなくなったわけじゃないのは当たり前だとしても、今、機械式ロボットが堂々としているのを見るのは、やっぱりちょっとびっくりする。
「機械式」ロボットってのは、ある意味、「時代錯誤」な代物なのだから。作られた当時もある種のおもちゃだっただろうに、「ロボット」が機械式では作られなくなった時代に作られる「機械式」ロボットは、「ただのおもちゃ」ではない。
じゃ、何か?というと、すぐには分からないけど、それが、「現代社会」とか「時代」とかに対して何か言おうとするものになるのはけっこう普通のことなんだろう。
でもまあそういうこと考えなくても、不思議で面白かった。
ちょうどオートマタにのめりこんだ人たちに関する本(アカデミックな本じゃないけど)を読み終えたところだったし、面白かったです。
生きている人形
関口 篤
2009年5月6日水曜日
タイマーズ、FM東京、1989年
出番全部
FM東京の歌だけ
昨晩、1989年にビデオ録画したものをPCに取り込んであった『ラピュタ』を見て、間に挟まるCMの短さにびっくりした。
で、これはそのテレビ放映の数ヵ月後の映像(1989年10月13日)。
かっこいー。
僕はこの事件のことを当時は知らなかったと思う。
ただ、僕が忌野清志郎を知ったのは、CMで流れていたタイマーズの「デイドリームビリーバー」かRCサクセションの「空がまた暗くなる」で、RCサクセションを知ったのは最後のアルバムになった『BABY A GO GO』(傑作だ!と思った。)だと思うので、僕はちょうどこの頃(中学2年?)、キヨシローを聴き始めたらしい。
で、カラオケに通ってた高校の時、僕の数少ない持ち歌はRCの「スローバラード」と「サントワマミー」だった。
だから僕はかなりキヨシローが好きだったはずだ。
どんなに悲しいことを歌っていても、あの声で歌われることで湿り気が吹っ飛ばされたような感じがするのが好きだったような気がする。
大学に入って大学の外でバンド始めて、初めて、(10才くらい年上なら)RC好きな奴はけっこういることを知った気がする。
だから、死んだことを知って、何だか喪失感を感じつつも最近の活動はほとんど知らなかったし実際に泣くほどでもないファンとして感じているのは、「(個人的な)ロックの時代」が終わったことの再確認、という、けっこう個人的な感傷なのかもしれない。
なんとも小さな話にまとまって申し訳ないが、まだなんかよう分からんな。
この個人的な感傷も、「ポストモダンの終焉」とか「ロックの変質」とか「Jとしての日本の自閉化」とか、なんかの時代の流れに関連する現象かもしれん。
まあなんかよう分からんけど。
→
NHK青春ラジカセ
→
まあ、だから、湿っぽいセンチメンタリズムにひたるのは気持ち悪いから、何か前向きなことをしよう。
2009年5月5日火曜日
『フォーン・ブース』をDVDで見た。
フォーン・ブース
前の年末にお勧めって教えてもらって、面白そうだったから年始にTSUTAYAのDISCASで借りて、やっと見た。
もういっこ、新しいジェームズ・ポンドの007もお勧めって教えてもらったけど、こっちは二作目を劇場で見損ねたので、二作目がDVDになるまで見ないと思われる。
で、この映画。素晴らしくスリリングなB級サスペンス(?)だった。
90分以下だし。
「シュッ」としてるって良いよね。
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色々なものの感想がどんどん短くなっていくな。
大丈夫か、僕。
2009年5月4日月曜日
FACTORY KAFE 工船
自分のGW最後に、昔の友達に会いに京都に出て行ったら、風邪で倒れて来れなかった。
という連絡をする力もないくらいひどいらしい。
(という連絡はできたらしい。)
(なんでやねん。なめた話や。)
なんでもいいけど、往復二時間以上使ってバカバカしーけど、二年ぶりだったし残念。もう会わないかもしれないし。
人生は偶然と成り行きでできてると思うので、縁があれば二年後くらいに会えるかもしれんけど、とりあえず、送料払ってるのだから、コーヒー豆を着払いで送るのは二度としないで欲しい。
でもまあ、体、はやく治ると良いねえ。
で、コーヒー飲んで帰ってる途中。
ふたばの豆餅は売り切れで買えなかった。
コーヒーは、とても美味しかったです。
好みの味を探って仕上げてくれるからかも。
接客、すごかったな。丁寧で。
時間かかるしコーヒー好きじゃないと駄目だけど。
ゆっくりするのが苦手な人が行くと、良いと思う。
→
「FACTORY KAFE 工船 (カフェ コウセン)」
オオヤコーヒ焙煎所 / KAFE工船/バッチグーバイシクル/田中美穂植物店コーヒショップ
:こんなんあった。がんばってるなあ、と思った。
:僕は、「コーヒーの人」としてのこの人と知り合ったんじゃなかったことを思い出した。
→
後日(5/23/09)、コーヒー豆の郵送に、記号みたいな手紙が同封されていた。
あ、もうないな、と思った。
少なくとも、二度とカフェ工船には行かねえだろうなあ、と思った。
つまり
1.一時間以上来る人間と待ち合わせしていたが、すっぽかして、すっぽかしの連絡をその人間ではなく、待ち合わせ場所にいる人間にだけした。
2.で、そのことに関する説明とか謝罪の電話はなく、
3.こっちからは電話しない(から電話してくれ)。
ということらしい。
なにが残念って、
4.この「真摯な手紙」で四角く切り抜いた部分、呼んだことのない呼び方で僕の名前を書いてる。
文面が先にあって、そこに僕の苗字をはめこんだんだろう。
(なんてツメの甘い。)
5.京都時代に一番色々話し合った人だったのに残念。
なので、
6.郵送料を先払いしても何回かに一回は「着払い」で送ってきて、そのことに関する連絡も謝罪もしないのだから、お金を払う相手としては信用できないので、(確かに同じ値段の豆と比べると一番美味しいと思うけど)もう先払いでは買わないこと。
2009年5月3日日曜日
2009年5月2日土曜日
2009年5月1日金曜日
グラントリノを映画館で見た。
グラン・トリノ (クリント・イーストウッド 監督・主演) [DVD]
これは傑作だ。
みんな、映画館で見るべし。
感想は、帰って落ち着いたら書くかも。
まだ見終えた直後で、外なのだ。
映画『グラン・トリノ』オフィシャルサイト:この日本語の宣伝の仕方は、ちょいと違うと思う。