2008年4月22日火曜日

音楽とか芸術音楽とか美術とか

音楽とか芸術音楽とか美術とか聴覚文化とか、そうしたものの位置関係を整理するために図を描いてみました。何かものすごく分かりやすいうっかりがある気もするし、ぜひ、ご意見をお聞かせください。(僕はあなたにお願いしているのです。)

0.書いて整理しようとしてみて思ったこと
:制度的な意味での「芸術」ではない音楽がある。
:制度的な意味での「芸術」ではない美術ってあるか?
(さしあたり、人間がその技術を用いて作ったもの全てが「芸術、アート」だ云々という議論はおいておく。)

とすれば、
「A.教師と学生それぞれが『音楽』という言葉で念頭に置くものの差」と「B.教師と学生それぞれが『美術』という言葉で念頭に置くものの差」では、Aの方が大きい気もする。
のだけど、そんなこともないか。「現代芸術」って言われて何も思い浮かばない人のほうが断然多いだろうし。

1.それはともかく、
こういうことが気になるのは、自分が、制度的な意味での「芸術」が何らかの理由で高く評価される場所にいたからかもしれない。それらは不当な評価だったとか(不当で不毛なのは今でもたくさんあると思うけど)、それらは所詮「制度的な」ものでしかない、とか言うつもりはないけど、とりあえず、ある種の実践が「芸術」として評価される(美的・社会的)原因を、明確に述べられるようにしておこう、と思った。

2.もう一つ、それはともかく
「1)教師が『音楽/美術』という言葉で念頭に置くもの」について語ることは、何の(何かの)役に立つのだろうか?
それは、

1.「1)教師が『音楽/美術』という言葉で念頭に置くもの」に関するインフォメーションを提供する
2.「2)学生が『音楽/美術』という言葉で念頭に置くもの」を受容する時に何らかのあり方で役立つ考え方、ものの見方を提供する
3.1)も2)もそんなに重要じゃなくて、何かを受容する時に何らかのあり方で役立つ考え方、ものの見方を提供する

とかの役に立つだろうか?
抽象的でよく分からなくなってきたので、このことについて考えるのは、しばらくストップ。

3.
もっと整理させてすっきりさせれば、この図は便利そうじゃないか?
「音楽」と一口で言う時に、あるいは「聴覚文化」に関心がある、と漠然と言う時に、どういう問題意識なのか分類して整理できるかもしれないじゃないか?

芸術の外側にある音楽に注目する立場
:ポピュラー音楽とか?芸術音楽の領域確定が問題になるのかな?

芸術の外側にある聴覚文化に注目する立場
:音にまつわる思考を音楽以外の対象、音響学の歴史でも聴診器の発達史でも何でも良いけど、それらに関心を置く立場。

音楽の外側にある聴覚芸術に注目する立場
:「サウンド・アート」。僕の博士論文はここに注目していたのだな。

とかとか。
ほんとか?
そんなに使えそうな図か?
まあ、駄目なら駄目で、ほったらかす。

4 コメント:

匿名 さんのコメント...

昨日は授業用のページにお邪魔して失礼しました。前から「準備が丁寧ですごい」とお伝えしたかったもので。というわけでこちらにもコメントさせていただきます。

ところで、自分でも旗振っておいて何ですが、僕は「聴覚文化(研究)」を「視覚文化(研究)」とパラレルなものとして扱うことには結構懐疑的だったりします。その懐疑についてはまだ要領よく説明できないのですが、簡単に言えば、それぞれの概念が使われるに至った経緯が結構異なると感じているからです。例えば、視覚文化研究が実質的に芸術学や美術理論系の人たちによって担われてきたのに対して、聴覚文化研究は今のところそういう面はあまり見られません。

この件については秋吉さんと議論したことがあるので、詳しくは彼に聞いてみてください。中川さんとも一度お話してみたいですね。

中川克志(NAKAGAWA Katsushi) さんのコメント...

秋吉君と辻本さんから話を聞いたけど、あんまし分からなかったけど、あまり噛み合わず「議論」は深まらなかったってことか?どうなんだ?と思いました。

僕、芸術学的なディシプリンから「聴覚文化研究」に入っていったから、「聴覚文化(研究)」というよりも「音楽ではない、音を用いた音響芸術(サウンド・アートとか)(研究)」に詳しくなるべしと思って、それで「音楽学」から距離をとっておかねば、と思ってた人間です。

だからって「聴覚文化研究」は「サウンド・アート」研究が発展したものだ、って考えるとしたら、それはただの嘘ですね。
「美術」と「音楽」は、学問の対象としても文化的にも、単に「別物」だから、(その内実はどんなものであれ)「美術-視覚文化」と同じ関係が、「音楽-聴覚文化」にもある、と考えるのも間違いですね。

と、最近やっとはっきり断言できるようになりました。
懐疑的でもなく、単に二つは別物、と考えたら良いと思ってます。でも、別物だってのを強調するよりは、類似点は何かを明確に把握した方が生産的なんだろう、と思います。

とはいえ、まだあんまし分かりませんが。またお話しましょう。
もっとシンプルな準備で済ませて素敵な授業が出来るようになる方法を教えてください。

匿名 さんのコメント...

僕の場合、端的に言うと「音楽を題材にしている、というのとは別の仕方で他分野と議論を共有したい。特に人の感覚や認識の問題を扱いたい」というのが聴覚文化研究に目をつけた実質的な理由です。そのための足場はもっぱら文化人類学やメディア史にあると感じていますが、そっち方面の議論を見ていて物足りない部分をこちらから提供できれば、というのが目下のヴィジョンです。音楽学(における音楽観)に対するジレンマもあったりしますが、それはそれで自分が内在的に向き合っていかなしゃーないと思っているので、音楽学から聴覚文化研究に乗り換えたいという考えも別にないです。

問題は、そういった個人的なモチベーション(の持ち寄り)からどうやって生産性のある理屈を編み上げていくかですが、そこは是非、中川さんのような方とも議論を重ねていきたいところです。

授業ですが、何年か続けているうち、ある種の即興的なパフォーマンスに近付いてきた気がします。今は内容を充実させるより、受講生の意識を高めつつ維持するのが大変ですよね。どうしてもそこに労力を注いでしまいがちです。もっと上手くなりたいですが、一般的な大学の講義とか予備校なんかを全然通過してこなかったので、そういうノウハウが自分に足りないのを痛感しています。

中川克志(NAKAGAWA Katsushi) さんのコメント...

「音楽を題材にしている、というのとは別の仕方で他分野と議論を共有したい。」っていうのは良いですね。

僕は、乗り換えねばと思うほども「音楽学」には浸っていない気もするけど(院生時代に聴いた他の院生のゼミ発表の半分は、中国古代の墓の壁画とかの話だったし)、でも、基本はゲンダイオンガクの話から始める傾向があるのだから浸ってるんだろうけど、まあ、生産的な議論を立ち上げるために使えそうなら使ってやってください。

議論じゃないけど、僕は、シンプルで簡単な日本語の年表が欲しいです。

「ある種の即興的なパフォーマンス」ってかっこいい言い方だなあ、と思って、昨日試してみました。一人しか学生いなかったし、準備したレジュメとか使って「講義」しても仕方なかったし。
面白かったけど、一人を相手にした話し方は他のところに応用できませんな。
まだしばらく精進し続けんとあかんなあ、と思ってるとこです。

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