天河伝説殺人事件 [DVD]
榎木孝明 日下武史 財前直見
週末の準備として見てます。
監督(市川崑)とか登場人物(加藤剛とか岸田京子とか)とか製作(角川春樹)とか判断して、話が進む前からどうなるかだいたい分かるので、妻がどんどん次の展開を言い当てていく。
今、二人目が死んだところ。たぶんもうすぐ三人目が死ぬ。
あんましきちんと見てないけど「母親が犯人」に違いない。(と言っても、角川映画の場合、ネタばれじゃないと思う。)(まあ、この映画でもそうなのかどうかは知らない。)
あんましきちんと見てないけど、天川村の観光案内代わりにはならないと思う。
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このポストを書いているうちに、三人目が死んだ。
で、どうやら、まだ死ぬみたい。
2009年4月30日木曜日
『天河伝説殺人事件』をDVDで見ている。
2009年4月29日水曜日
「ロックの学園」という番組
昨夜家に帰ると、テレビで「ロックの学園」という番組が流れてた。
ロックは学校で教えることができるモノになったらしく、それはそれで、時代は変わるもんだな程度の感想なのだけど、見たことがある顔がテレビに出てて面白かった。「"ロック"はアカデミックなものになったんだ」と思いつつも「知ってる顔がテレビに出てたら物珍しく思う」というのは、「テレビとかマスメディアの磁場(?)」から脱しきれていなくて、中途半端だな、と思った。
でも、(距離的にも人間関係的にも)遠く離れている人の顔を自分の部屋で見れるってのは、面白いもんだ。
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パーカッショニストの山口ともという人が大学かどっかで講義してて、あと、斉藤和義のギターをキセルの辻村君が弾いてた。
山口とものほうは個人的には知らない。京都のどっかのライブハウスで見たことがあって、僕もごみを集めて打楽器に使ってたので、山口ともを見て、「カギ」を集めて楽器に使い始めた記憶がある。
斉藤和義 歩いて帰ろう 20080830埋め込み禁止らしい。
2009年4月28日火曜日
世の中
滋賀県は琵琶湖な草津まで二時間授業(つまり180分)しにいって、そのあと、大学の同窓の人間で、大学に勤めている人間とご飯食べてコーヒー飲みました。たまたま今日は同じ場所に授業しに来てたので今日会えて、京都駅でモダン焼き食べたのだけど、なぜか外国のお客さんが多いとこで、不思議でした。
で、会う前は、なにをどこまで話すと愚痴でどこまでなら普通の相談事かということについて、明晰な線引きをくだすべく議論しようと思っていたのだけど、なんだかどうでもよくなってきたので、あんましそういう話はしませんでした。
昼間、花を見て、何の根拠もなしに何だか良い気分になったからだと思います。
不思議なもんです。
で、かわりにけっこー色々なことを話したような気がするけど、内容はあんまし覚えていなくて(たぶん明日にはすっかり忘れてしまうと思います。)、たぶん「世の中のこと」について話していたはずなのだけど、たぶん半分以上、「大学」の話だったと思います。
なんで、帰りの電車で、「世の中」とは、「世の中」という言葉を使う人の身の回りの世界のことなんだろうと思ったという話です。
あと他に思ったのだけど、そいつは携帯電話持ってないのだけど、それ以上に、そいつの自宅はまだダイヤルアップらしく、そっちの方がびっくりで、そっちのほうがびっくりだった自分にびっくりしました。
果たして彼はこのブログを発見できるのだろうか?
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某理系の某研究分野においては「研究内容や手法の相談」を行うことは、当たり前で当然らしい。
という事実に衝撃と当惑を感じて、二年ほどたった。
(4/28/'09)
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「自分で考えるのが当然」とか「自己責任」とかいうマジック・ワードの周辺で成長してきた人間としての衝撃と当惑。
とりあえずのメモ。
なんかよく分からない時は、判断は保留してどちらが正しいとか断言しないこと。
とはいえ予想としては、たぶん、「どちらが正しい」とか考えるような事項ではないのだろう。
で、「自己責任」とかいう言葉をやたら使う人間は、信用してはいけない、と。
で、ただし、誰も面倒見てくれるわけではないので、全ての責任は自分にしかないこと(あるいは、自分のことは自分で責任を取るしかないこと)は、肝に銘じておくこと。
2009年4月26日日曜日
(cache) 京大のシンボル、吉田寮建て替えへ - MSN産経ニュース
(cache) 京大のシンボル、吉田寮建て替えへ - MSN産経ニュース:おおお!!!
まあ建て替えたら良いと思う。やっぱ古いし危ないし。
僕が関西にいる間に建て替えられるかどうかは分からんけど。
僕の世代(って、適当なくくり方だけど)にとっては、思い入れとか感慨をこめて振り返る対象は、西部講堂じゃなくて吉田寮だと思うのだけど、僕程度の関わり方しかしてない人間でもちょっと感慨にふけるニュースなのだから、本当にしっかりと関わっていた人たちにとっては、けっこう衝撃的なニュースだったりするんだろうか?
それともやっぱり、もうどうでもいいニュースなんだろうか?
もう彼らのほとんどと連絡がないのだけど、知りたいもんだ。
たぶんもうどうでも良いと思うけど。
2009年4月25日土曜日
『スラムドッグ$ミリオネア』を映画館で見た。
映画『スラムドッグ$ミリオネア』公式サイト
マイカルだと5月後半だけど、奈良市だと今日から見れたので、見てきました。
おくりびとと同じ時に何個もアカデミー賞とった作品だし、金曜の夜だったのに、観客が8-9人しかいなくて、「映画館に映画を見に行く文化」が衰退するのは仕方ないのかもしれないけど、寂しかったです。
で、なんだか奇妙な映画で面白かったです。
スラム出身の教育を受けていない若者がクイズ・ミリオネアで全問正解するのは、そのクイズの問題の答えが、偶然にも、彼がそれまでの人生で遭遇した様々な事件で知った知識で回答できるものだったから。
で、映画は、その回想シーンと現在のシーン(クイズに出ているシーンと、インチキを疑われて警察で取り調べられているシーン)が交錯して作られてる。
と、ここまでは予告編とか広告とかで分かることだと思うけど、映画を見て分かることとして、これはネタばれじゃないと思うけど、「スラムでの生い立ち」と「クイズ・ミリオネアの問題」との関連は別に必然的なものではなくって、つまり、映画のポイントは「生い立ちとクイズとの不思議な関連」ではなくて「スラムでの生い立ち(の回想)」にあって、それがなんだか奇妙で面白かったです。
けっこう悲惨な運命とか事件に巻き込まれていくのだけど、元気な子供が走り回っている映像は元気が出てくるものだなあと思いました。疾走間溢れる映像とか、やたら汚い環境で生きている人間たち、とか。なぜ、英語でインドのスラムの映画を取ってるのかは分からない。
他にいくつか
・トレインスポッティングと同じ監督の作品なのに、インドだけが舞台で、でも登場人物たちが途中からみんな英語を話してました。インド訛り英語は、やっぱしちょっと聴き取りにくいです。
・僕は日本の「クイズ・ミリオネア」を10分以上見たことがないと思うけど、なかなか面白そうな番組でした。
・ハッピーエンドは大事だと思いました。
・みんな踊る場面があるのは大事だと思いました。
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2009-04-23 - 空中キャンプ
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スラムドッグ$ミリオネア - YAMDAS現更新履歴
ギャラリーカフェ人と木、「田舎カフェ」
ギャラリーカフェ人と木 京都・木津川市
市役所に行ってから、「日本」「美術」の誕生とか「日本画と洋画」について説明する方法を考えて一時間の授業に仕上げないといけないので、ここに行って考えることにしました。
人と木(ヒトトキ=ひと時)というネーミングからして、鬱陶しいセンスのとこだと嫌だなあと思ってたのだけど、和歌山の実家の田舎を思い出して、なかなか良かったです。「畳に寝転がることができる」って素敵な話で、ついつい昼寝してしまいました。
300年前に出来た庄屋の家を利用したものらしく、ま、田舎の家、です。里帰り気分で来る人は多いと思うし、僕は、母方の祖父母の家を思い出して懐かしかったです。
この手の「実家」がない人も多いと思うけど、そういう人がどう感じるかは分からない。
だからまず第一に、ここは良いところです。次はランチでも食べようと思いました。
で、帰ってきてから、「田舎カフェ」というカテゴリーでくくられるカフェがあるなあ、なんて気のきいた言葉を思いつくのだろう僕は、と思ったのだけど、僕が初めて思いついた言葉じゃありませんでした。
(よくあることだけど。)
(例えばこれ→田舎カフェの始め方)
別に定義しないといけないような言葉じゃないけど、僕が思ったのは、
・クルマで行くような場所にある。(バスとか電車とか公共交通機関では行けないし、自転車で気軽に行ける場所にもない。)
・田舎にあるので家賃は安いので、広い。
・田舎にあるので平日はあんまし(というか、たぶんほとんど)お客さんがいないので、売り上げとか利益とか店長の生活費とか、どうなってんだかさっぱり分からない。他に仕事持ってるようにも見えないのだけど。
・「地元なアートか工芸か民芸かなんかそんなの」が飾られて売られてることが多い。「ギャラリー」(と名乗ったり名乗らなかったりするもの)が併設されていることが多い。
・自然な食品が多い。なんだかうそ臭いしばかばかしいと思ってきたけど、けっこう美味しいことが多い。
・BGMが僕好みではないことが多い。
等々
という性格を持っているもののことです。
木津川市の南端に引っ越してきたおかげで(ここはバイクかクルマで数分動くだけでドイナカになるのだけどけっこうな数の「カフェ」があるので)知るようになった形態の「カフェ」のことです。
人があんまし来ないことが前提みたいなところがあるので、和歌山とか京都とかDavis, CAとか茨木市とか、中途半端に人がいる(ような感じがする)町じゃあ、試みられない「カフェ」なんだろうと思います。
で、不思議なのだけど、だからといって「顔見知りの常連」だけ集めようとしているわけでもなさそうです。
というか、まだあんまし知らんのだな。
「日本の都会のカフェ」を「田舎に移したもの」ではなくて(”最初”はそのようなものとして始められたものもあるのかもしれないけど。)(都会みたいにお洒落なカフェを田舎でも!って感じで。)、けっこう別の機能を持ち始めてるのではないか、と思いました。
具体的にどんな機能なのかは、田舎カフェをあまり知らないのでよく分からないけど。
街の大きな/小さなカフェとかライブハウスとかクラブとかバーとかが果たすだろう人と人とを結びつける機能とか、そういうのの田舎版に過ぎないものではないだろうと思います。
よく分からんけど、とりあえず、同じ「カフェ」という言葉を使うだろうけど、単なる「都会の縮小版」じゃないだろうと思いました。
たぶん「カフェ」以外の言葉のほうがふさわしいと思います。
たぶん「都会のカフェ」の機能は、ドイナカでは「喫茶店」が担うんじゃないだろうか?
和歌山の田舎の喫茶店を幾つか思い出して、ふと、そんな気もしました。
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個人的な希望として、かっこ悪いと思うので、「カフェ」以外の言葉が普及して欲しいです。
「お茶屋」とかもかっこ悪いからやめて欲しいです。
「喫茶店」か「コーヒー屋」が良いんじゃないだろうか。
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すぐに気づいたこと
というか、「田舎カフェ」って「そもそも最初から田舎に住んでた人」はターゲットじゃなくて「都会から来る人/都会に住んでたけど田舎に移住した人」がターゲットだ!
おお、かっこ悪い。
みんな「都会のような」生活を味わいたいのか?
ネットとかPCとかなかった時期の、かつての(今でも?)「アマチュアミュージシャン」のように権威主義的に”(幻想上の)都会”に羨望(みたいな感じ)の眼差しを送るわけだな。
パンクなスピリットは(日本の?)田舎では醸成され難いのだな。
けっ。
でも、今日食べた玄米ゴマパン、美味しかったな。
次はランチだ。
木津川市じゃなくて高の原は、ニュータウン多いしなあ。
2009年4月21日火曜日
2009年4月19日日曜日
2009年4月17日金曜日
2009年4月15日水曜日
2009年4月14日火曜日
2009年4月12日日曜日
2009年4月11日土曜日
Lucky Garden
ラッキーガーデン公式ホームページ
けっこう狭いけっこうな田舎の山道をけっこう車で進んだら、何軒かの建物が現れて、羊や山羊もいて、そこがぜんぶ、Lucky Garden。車じゃないと行けなくて、けーっこうアクセスが難しいと思うけど、お客さんがひっきりなしに来てた。
インド料理かスリランカ料理だと思うけど、とてもおいしかった。Davisで食べたカレー思い出しました。
あと、なぜだか紅茶がとても美味しかった。僕はあまり紅茶を美味しいと思わないので、すごかった。
何より、見晴らしが素晴らしいし、食べる場所が素敵でした。
今だけだろうけど、満開の桜の下で羊を眺めながら、この上もなくのんびりと開放的な気分でご飯を食べられるわけです。
羊を見る場所のほうは自由席だけど、山の上からの見張らしが売りの店内席は予約しないといけないです。
2009年度が始まった途端に色々思うことがあるなか、なかなか素晴らしい場所でした。
2009年4月10日金曜日
2009年4月2日木曜日
memo-TBSラジオ「ストリーム」終了後も聞ける「コラムの花道」レギュラー陣のポッドキャストまとめ
TBSラジオ「ストリーム」終了後も聞ける「コラムの花道」レギュラー陣のポッドキャストまとめ:こんなにもストリームに習慣付けられていたとは!と思いつつ、他の番組でも良いから、声を聞こえるようにしてみよう、と思った。
ストリーム ラジオ - Google ブログ検索:なんでHP閉鎖すんねん。
ポッドキャストばっか聴いてて音楽聴かなくなったなあ…。
なんか面白いのないかなあ。
マイブームだった「昭和の歌謡曲」にも飽きてきたなあ。
2009年4月1日水曜日
人は33歳までの投資で残りの人生の配当を受ける - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
人は33歳までの投資で残りの人生の配当を受ける - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記: "第二の人生"
今、33です。
そっかそっか。
今日この言葉に出会ったのも何かの縁だろう。