採点を終えたので、以下のようなことを考えました。
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東京オリンピック
ドキュメンタリー映画 市川崑
ヤノベケンジに向けて、大阪万博の前に東京オリンピックのおべんきょーしよう、と思った。
だけなのだけど、本当にとても面白かった。
ナレーターの声(三國一朗)と「無名の日本人たち」の顔が良い。
最初のナレーターの声と、聖火ランナーの映像からして、単なる記録映画以上の期待を抱かせてくれたので、じっくり見ようとしてしまった。単なる記録映画にしたくはなかったという企図は信じられないくらい成功していると思うけど、現実の人間がこんなにフィクションの世界の住人みたいに見えて、それは良いのだろうか?と思った。
冒頭いきなり「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである。」と言われる。
「オリンピック」の理念とは、人類普遍の「世界の平和と友情」らしいけど、これは1960年代日本に特有の話なのか、市川崑の独創なのか、調べてないので分からない。
「世界中の国から日本にお客様がやってきた」というファンタジーや、WWII中のベルリン・オリンピックの話やらに触れないこと、等々は、明らかに「市川崑の作為的な痕跡」なので、この「東京オリンピック」をかるすた的なスタンスから色々検討したり、その西洋中心的史観を炙り出す等々の作業はきちんとしないといけないと思う。
でも、市川崑という人は、そういうことを「とりあえずは脇にどけておこう」と思わせるくらいに強力な物語を映像で語れる人だったのだなあ。
東欧や人種の違い等々の「問題」が、見事なまでに無視されていて、無視されているからこそ「統一的な物語」を形成しているのかもしれない。いちおうきちんと「原爆ドーム」は入れてあるし。
そういう意味で、これは、今の視線からは抑圧構造を持ったものとして理解されるだろう、60年代に典型的な物語構造なのだ、と言えるのかもしれない。
「全世界が一堂に集まることができる場所」を夢見ることができること、それが夢みたいな話だ。
だから「昭和」は流行してるんだろなー。
例えば"この十年の日本社会の退廃は、東京オリンピックから大阪万博の時代に、社会人となった世代がリーダーシップを取るようになったせいだと思っています。お祭り騒ぎはいいことだ、と刷り込まれているわけで、第二東京オリンピックも、社会の現実から目を背ける世代を育てることになるでしょう。"といった意見があるが、これは、僕のせいではないというメッセージを僕に伝えてくれるので採用しよう、と思ったりもする。
「夢見ることができた時代、それが昭和」とか、こんなコピーはどこかに売れないものだろうか。
映像に記録されている子どもたちや大人たちも今やけっこうなおじさんおばさんそしておじいさんおばあさんになっていることとか、自分もそのうちおじさんおばさんおじいさんおばあさんになることを思うと、友部正人の「にんじん」を聞きたくなってくる。みんな昔懐かしいおじいさんになってしまいそうだから。
音楽は黛敏郎らしい。
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JOC - 東京オリンピック 1964
最初は黒澤明がするはずだったけど、降りたので、代役として市川崑が作ったらしい。
レニ・リーフェンシュタールの見たくなってきた。
谷川俊太郎とか安岡章太郎が関わっていたらしい。
2008年2月4日月曜日
市川崑の『東京オリンピック』
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