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2009年6月14日日曜日

『萌の朱雀』をBSで見た。

萌の朱雀 [DVD]
國村 隼.尾野真千子.和泉幸子.柴田浩太郎.神村泰代.向平和文.山口沙弥加 他, 河瀬直美
B000SFJVK2
省略が多いしセリフもあまりなくて、物語はすぐには分からない。
「家族が離散していく話」とも「過疎化していく日本を象徴する話」とも言えるかもしれない。
でもまあ物語が分からないことはそれほど問題ではなくって、それより、(僕には全く縁のない)利権団体とかが視界に入ってこない「美しい田舎」の映像が素晴らしかった。
僕は泣けないけど、泣ける人もいるだろう。
で、このレベルの田舎は、全く想像つかない人もいるだろう。
そういう人にとっては、これは全く面白くない映画だろう。
(僕は、和歌山の田舎をさらに田舎にした感じを想像して、こりゃあかなりのもんだ、と想像する。)



物語的にも映像的にもほとんど関係ないのだけど、この映画を思い出した。
『だれも知らない夏の空』

共通点は、紀伊半島の田舎が撮影されていること。それだけ。

中治人というのは、僕が、学部生時代にバンドとは関係なく知り合ったほぼ唯一の(たぶん)京大生。
映画学のゼミ(英書購読)で知り合って、でもアカデミックな関心は全く持ってない奴で、面白かったけど一言で言うと「だめなやつ」だった。
この映画の後どうなったのか全く知らないけど、検索してみたら、アメリカに行ってる(?行ってた?)らしいことが判明した。
こいつも40過ぎないと浮かび上がらないタイプの人生な気がする。
分からんけど。
元気なんだろうか。
ニューヨークフィルムアカデミー留学映画制作・俳優アクティング・プロデューサー・脚本・デジタル映画の習得


こんな映像あるんだ。
すげー。
ねっとってすげー。
2000年前後、PCは普及してたけどまだブロードバンドはマイノリティだった時代の映像の入手困難さと、ブロードバンドが普通になった後の時代の映像の入手困難さとの落差はかなりある。けど、どっちも僕の20代後半の出来事でしかないってのは驚きなんだけど、時代の変化ってのはそんなもんなんだろう。


これが大ヒットしてた頃、しょうちゃんが生まれて、僕は城陽にいた。


本人の名前で検索してもこれしか出てこない。

2009年6月13日土曜日

『パンチドランク・ラブ』をDVDで見た。

パンチドランク・ラブ
B001O7I39S
PCで映画を見ようとして、『ミリオンダラーベイビー』の下にあったISOファイルを間違えてマウントしてしまったところ、これだった。
何の映画か全く思い出せなかったのだけど、思いのほか、すごく面白かった。
ボクサーが云々とかいう話ではない。「パンチドランク・ラブ」というのは「ものすごい一目惚れ」という意味らしい。
なんというか、現状肯定感満載で素晴らしかった。
(こんな書き方したら、なんか、自分が駄目な人間みたいだなあ。)
とにかく、ストーリー展開とかについてごちゃごちゃ言ってはいけない。
音楽、良かった。
見た後に感想を書いている今、思うに、僕はこの監督にはまったようだ。

後から調べてみたところ、僕がこれを借りてたのは、PTA(ポール・トーマス・アンダーソン)映画だからだったと思われる。
で、なぜPTA監督の映画を借りたかというと、町山智浩が『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』という映画をべた褒めしてたからで、だから他にもこの人の映画を借りてた。
でも『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は借りてなかった。
なんでだ?
(さっそくDISCASで借りておいた。)


「ノーカントリー」対「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」は続く-ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

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近況報告
最近がんばってて(自分で誉めとくけど)、今日も今年に入ってから四本目の紀要論文書き終えました。
でも四本とも2008年までに書いていたものの書き直しとかばっかなので、何かあんまし達成感とか爽快感はありません。
でもアウトプットしといたら参考にしてくれる人もそのうち一人くらい現れるかもしれないと思うので、今年度と来年度中にどっかにのせてもらっときます。査読がないところじゃないといかん。ただ、こういう論文を書き続けるのは駄目ですな。
ま、夏までは、地中をうねるように活動してます。
望むべくは、夏以降は、地面の上に出たい。

2009年5月24日日曜日

川上弘美『神様』

神様 (中公文庫)
川上 弘美
4122039053
初「川上弘美」体験。
まだあまり分からないままだけど、なんだか石川淳みたいなだなあ、と思った。
御伽噺ではないほら話。
村上春樹よりも「透明感」があるように思う。
(というか、そもそも「村上春樹」はその「透明感」を誉められるような小説家ではないと思う。)

「ウテナ様」と河童の国に行って恋愛相談されて、でも「ウテナ様」は恋愛相談の相手をするような存在ではないし、それどころかウテナ様も最近失恋したばかりらしいし、「ウテナ様」に相談しようとした河童の問題も解決しない、という話があったりするのだけど、そもそもこの「ウテナ様」が何者かとか何が出来るのかとかそういう説明はない。
「相談されたけど、でも別に話し合いにはならなかった」とか、そういうコミュニケーションの流れ、展開"が主題なのかもしれないけど、小説は論文ではないので、「何が主題か」とか考えて読んでも仕方ない気もする。
もうちょっと読んでみよう、と思った。
ということは、久しぶりに、「新しい小説家」に関心を持った。

2009年5月23日土曜日

奥中康人『国家と音楽─伊澤修二がめざした日本近代』

国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代
奥中 康人
4393930231
研究のためというより勉強のために読んだのだけど、めっぽう面白かった

基本的には西洋音楽の受容状況を考察したもの。縦軸に、鼓手としてキャリアをスタートして、大学南校の中でもエリートとして留学し、主として明治期日本で教育学に大きな功績を残した伊澤修二を織り込んでいる。

何がこんなに面白かったのか?


歴史的事項の綿密な発掘、独自の視点に基づく大胆な解釈、そうして浮かび上がる明治期「音楽」の新鮮な外観。
色々あるけれど、「細かな調査の積み重ね」と「そこから導き出される新鮮な視線」が面白かったのだろう。

本書では、例えば、いわゆる「日本における西洋音楽」という言葉で念頭に浮かぶものの「起源」として、幕末の鼓笛隊の「ドラム・コールやドラム・マーチ」が分析される。軍制改革は、人々の身体を教育するために(例えば、大勢の人間をスムーズに方向転換させたり走らせたり等々するために)行われた。「音楽」はそのために輸入されたのであり「芸術」のためではなかった。
あるいは、岩倉使節団がボストンで行われた「太平楽会」という大きなコンサートに関する記述が、大作曲家であるはずのヨハン・シュトラウスには触れずに、愛国心に関する記述に変わる理由も、鮮やかに解釈される(76-85)。岩倉使節団にとって、「音楽」とは何よりもまず「教育音楽」だったから。「音楽」がまずは「教育音楽」だったってのは、当時のボストンでもそうだったらしい。
等々。

細かくて具体的な情報の収集だけならつまらないけど、それらを具体的かつ明晰に解釈してくれる。
それにその解釈は、「音楽」という言葉に染み付いている色々なアクを抜いてくれる。
21世紀なのに、明治期日本の「音楽」の研究が面白い理由だろう。
個人的には、「音楽」という言葉で「西洋(芸術)音楽」とか「ポピュラー音楽」だけを念頭に置く習慣は、無意識に抜きがたくまだ自分の中に残っていることに気づいた。

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なんか最近、あまり生産的ではないけどしなければいけない仕事に追われていて、明治期日本の「音楽」の勉強もその一つだったのだけど、これは面白かった

2009年5月21日木曜日

小沼純一(編)『ジョン・ケージ著作選』(ちくま学芸文庫、2009)

ジョン・ケージ 2009 『ジョン・ケージ著作選』 小沼純一(編) ちくま学芸文庫 東京:筑摩書房。
ジョン・ケージ著作選 (ちくま学芸文庫)
小沼 純一 John Cage
4480092021
まさか、ジョン・ケージ関連の新しいアイテムが出版されるとは予想していなかったので、ちくま学芸文庫だから1000円以上するけど、でも、文庫本で出たことを知ってびっくりした。

収録されているジョン・ケージの文章は、以下の通り。
-------------
音楽愛好家の野外採集の友
合衆国に於ける実験音楽の歴史
実験的音楽ジョン・ケージ
ダニエル・シャルルの33の質問に対する60の答え
インタビュー集 ケージの音楽-1970年以降
われわれはどこで食べているのか?そしてなにを食べているのか?
作曲を回顧して
-------------
基本的に、リブロポート社の『MUSIC TODAY』 のケージ特集(No.18)と1980年の近藤譲(編訳)『音楽の零度 ジョン・ケージの世界』(朝日出版社、1980)に収められていた日本語訳を再録したもの。
ジョン・ケージ 1996 『サイレンス』 柿沼敏江(訳) 東京:水声社。からは使われていない。
理由は不明。翻訳権とかの関係か?

僕にとってはどれも馴染みのテキストだし、僕がこれを読んでジョン・ケージについて新たに何かに気づくということはないと思う。
が、ケージの文章の邦訳は絶版になってるものが多いので、文庫であると、最初のきっかけには良いのかもしれない。これもすぐに絶版になるかもしれないけど。
「ジョン・ケージを全く知らない人」でケージの音楽を聴くだけではなくケージの文章を読んでみたい人にとっては、最初のきっかけとしては良いのかもしれない。
が、だったら、ケージが英語でやってるフォントや段組の実験とか、メゾスティクスは、再現しないほうが良いと思う。二つ以上の文章が分断され、フォントだけで区別されて同時に掲載されていたり、本を上下左右逆にして読んでみたりしなければいけないのは、よみにくい。

ということで、
1.ケージのタイプグラフィーの実験を日本語で再現しようとするのはかっこ悪いなあ、ということを再確認し、
2.絶版にならなければジョン・ケージの文章への最初の入門として紹介できる(そうする必要とか価値があるかどうかはともかく) と思った。

ま、世の中には色々な物事があったほうが良いと思う。

2009年5月18日月曜日

『ロスト・イン・トランスレーション』をDVDで見て、その翌日のニュースに驚いた。

ロスト・イン・トランスレーション [DVD]
ソフィア・コッポラ
B0000YTR5K
日本語が分からない人が見たら、素直に(=監督の意図どおりに)「外国で不安になって恋に落ちそうで、でも恋に落ちるわけじゃない年の離れた男女」の物語として見れたのかもしれない。
でも日本語分かるしなー。
あと、外国にしばらく滞在するなら、その国の言葉を少しでも覚えろよ、とも思う。
スカーレット・ヨハンセンはキュートだったしビル・マーレイはかっこよかったけど、でも、なんかあんまし共感しきれないなあ、と思った。

「日本」の描き方が偏っている云々という意見々は、まあ、愛嬌みたいなもんで、あんましどうでも良いんじゃないかな、と思った。
アメリカ人は「外国」には興味なんかないんだから、あんまり期待しちゃいけない。
全体的に80年代っぽくてなんか古いなあ、と思ったのは、ジザメリとマイブラの音が流れてたからだろう。



それより、松本人志が結婚!というニュースを知ってびっくりした。
だから「放送室」は終わったのか!とか。
この「喪失感(みたいなもの)」はなんだろう。
ダウンタウンって、30代前半くらいにとってはすげーんだな、と思った。
それとも僕だけか?
ま、他人事なんで、どうでもいいっちゃ、いいけど。
ただ、昔の同級生たちはどう感じるんだろう?ということを知りたくなったニュースだった。
(「どうでもいい」って奴のほうが多いんだろうなあ…。)

2009年5月8日金曜日

Theo Jansen テオ・ヤンセン




妻が職場or研究室or毎日行くところの先輩から借りてきたもので、僕は昔「これ、すげえ」と言ってたらしいのだけど、僕は全く何の記憶もなくて、でもすごかった。
節足動物ロボットに見えるけど、何がすごいって、これ、全て、機械式なのだ。
つまりは、江戸時代のからくり人形とか19世紀以前のオートマタみたいな代物なんだな。

機械式ではどうもならんし他の色々な要因もあってパラダイムが変わって、電力とかこんぴゅーたとかが使われるようになったのに、今でも、これくらいに作りこまれた機械式ロボットには「いのち」を感じてしまうのは不思議だ。「機械式」なパラダイムがなくなったわけじゃないのは当たり前だとしても、今、機械式ロボットが堂々としているのを見るのは、やっぱりちょっとびっくりする。
「機械式」ロボットってのは、ある意味、「時代錯誤」な代物なのだから。作られた当時もある種のおもちゃだっただろうに、「ロボット」が機械式では作られなくなった時代に作られる「機械式」ロボットは、「ただのおもちゃ」ではない。
じゃ、何か?というと、すぐには分からないけど、それが、「現代社会」とか「時代」とかに対して何か言おうとするものになるのはけっこう普通のことなんだろう。

でもまあそういうこと考えなくても、不思議で面白かった。

ちょうどオートマタにのめりこんだ人たちに関する本(アカデミックな本じゃないけど)を読み終えたところだったし、面白かったです。
生きている人形
関口 篤
479176093X

2009年5月5日火曜日

『フォーン・ブース』をDVDで見た。

フォーン・ブース
前の年末にお勧めって教えてもらって、面白そうだったから年始にTSUTAYAのDISCASで借りて、やっと見た。
もういっこ、新しいジェームズ・ポンドの007もお勧めって教えてもらったけど、こっちは二作目を劇場で見損ねたので、二作目がDVDになるまで見ないと思われる。

で、この映画。素晴らしくスリリングなB級サスペンス(?)だった。
90分以下だし。
「シュッ」としてるって良いよね。
---------
色々なものの感想がどんどん短くなっていくな。
大丈夫か、僕。

2009年5月1日金曜日

グラントリノを映画館で見た。

グラン・トリノ (クリント・イーストウッド 監督・主演) [DVD]
B001V9KBSA
これは傑作だ。
みんな、映画館で見るべし。

感想は、帰って落ち着いたら書くかも。
まだ見終えた直後で、外なのだ。

映画『グラン・トリノ』オフィシャルサイト:この日本語の宣伝の仕方は、ちょいと違うと思う。

2009年4月30日木曜日

『天河伝説殺人事件』をDVDで見ている。

天河伝説殺人事件 [DVD]
榎木孝明 日下武史 財前直見
B0013KY0IE
週末の準備として見てます。
監督(市川崑)とか登場人物(加藤剛とか岸田京子とか)とか製作(角川春樹)とか判断して、話が進む前からどうなるかだいたい分かるので、妻がどんどん次の展開を言い当てていく。
今、二人目が死んだところ。たぶんもうすぐ三人目が死ぬ。
あんましきちんと見てないけど「母親が犯人」に違いない。(と言っても、角川映画の場合、ネタばれじゃないと思う。)(まあ、この映画でもそうなのかどうかは知らない。)
あんましきちんと見てないけど、天川村の観光案内代わりにはならないと思う。


このポストを書いているうちに、三人目が死んだ。
で、どうやら、まだ死ぬみたい。

2009年4月25日土曜日

『スラムドッグ$ミリオネア』を映画館で見た。



映画『スラムドッグ$ミリオネア』公式サイト
マイカルだと5月後半だけど、奈良市だと今日から見れたので、見てきました。
おくりびとと同じ時に何個もアカデミー賞とった作品だし、金曜の夜だったのに、観客が8-9人しかいなくて、「映画館に映画を見に行く文化」が衰退するのは仕方ないのかもしれないけど、寂しかったです。
で、なんだか奇妙な映画で面白かったです。

スラム出身の教育を受けていない若者がクイズ・ミリオネアで全問正解するのは、そのクイズの問題の答えが、偶然にも、彼がそれまでの人生で遭遇した様々な事件で知った知識で回答できるものだったから。
で、映画は、その回想シーンと現在のシーン(クイズに出ているシーンと、インチキを疑われて警察で取り調べられているシーン)が交錯して作られてる。
と、ここまでは予告編とか広告とかで分かることだと思うけど、映画を見て分かることとして、これはネタばれじゃないと思うけど、「スラムでの生い立ち」と「クイズ・ミリオネアの問題」との関連は別に必然的なものではなくって、つまり、映画のポイントは「生い立ちとクイズとの不思議な関連」ではなくて「スラムでの生い立ち(の回想)」にあって、それがなんだか奇妙で面白かったです。
けっこう悲惨な運命とか事件に巻き込まれていくのだけど、元気な子供が走り回っている映像は元気が出てくるものだなあと思いました。疾走間溢れる映像とか、やたら汚い環境で生きている人間たち、とか。なぜ、英語でインドのスラムの映画を取ってるのかは分からない。

他にいくつか
トレインスポッティングと同じ監督の作品なのに、インドだけが舞台で、でも登場人物たちが途中からみんな英語を話してました。インド訛り英語は、やっぱしちょっと聴き取りにくいです。
・僕は日本の「クイズ・ミリオネア」を10分以上見たことがないと思うけど、なかなか面白そうな番組でした。
・ハッピーエンドは大事だと思いました。
・みんな踊る場面があるのは大事だと思いました。

2009-04-23 - 空中キャンプ

スラムドッグ$ミリオネア - YAMDAS現更新履歴

2009年3月30日月曜日

たまってたDVD幾つか-9 Evenings, The Art of Performance - Story(1964), Merce Cunningham Collection vol.Iなど

9 Evenings
Variations VII by John Cage: E.A.T. - 9 Evenings: Theatre & Engineering
John Cage, Barbro Schultz Lundestam
B0015U0QNA
E.A.T. and ARTPIX: Open Score by Robert Rauschenberg
Robert Rauschenberg, Frank Stella, Simone Forti, Barbro Schultz Lundestam
B000OHZL4E
どっちも1966年10月13-23日にE.A.T. (Experiments in Art and Technology)主催で行われたお祭り騒ぎの記録。
ジョン・ケージ自身が机の上のテープ・リールとかを操作してるVariations VIIとか、ラウシェンバーグの変な作品とかの記録。

ケージのVariationsは、当然、クライマックスも何もなく延々と音が生成しては消えていく、という代物なので、集中して鑑賞する、という類の音楽ではないので、そのうちぼんやり再生する機会があれば良いなあ、と思うのだが、僕が今後死ぬまでに再びそんな時間を持つことがあるのかどうかはあやしい。
ラウシェンバーグのほうは知らなかったのだけど、アマチュアのテニスの試合があって、ボールがポーンと打ち返される音が会場に響いていた、というのにしか見えない。一緒に500人の観客には、イベント形式のパフォーマンス(「誰にも触れていない人に触れよ」とか)をしてもらっていたみたい。
僕の弱まった英語力では、テニスの試合とこの500人の観客参加型イベントの関連が分からない。

The Getty Museumに、David TudorやComposers in Electronics(という、チュードアが参加してたグループみたいなの)やE.A.T.関係の(つまり9 Evenings関係の)色んなアーカイヴがある。再び行くことがあるかどうかはあやしいけど、行ける機械があれば、もう一度チュードア・アーカイヴを漁りたい。演奏家を辞めたチュードアは、良くも悪くも電子回路オタク(というには学習能力が半端じゃないけど)に過ぎなかったことを明確にすると、20世紀後半の"シリアスな"音楽家の一事例として、けっこう面白いんじゃないかと思う。

The Art of Performance - Story(1964) [DVD]
DVD『The Art of Performance/ STORY (1964)日本版』発売記念企画 上映会+対談: "初回限定500部":メディア・ショップでの購入だと思うけど、500部だけ、とは。こういうのっていくらくらいの利益が出るんだろう。
30分ほどあるインタビュー部分は、いらない。「マイナーな有名人」を見て嬉しいわけではないし。20分ほどあるカニンガム・ダンス・カンパニーの「Story」(1964年のフィンランド公演)が(僕には)面白い。カニンガム・ダンス・カンパニーの映像はあまりない、という理由で。当然白黒です。

大上段に「現在のアートは…云々」とか考えるつもりはないけど、これ(カニンガム・ダンス・カンパニーの方)、ゆっくり見てると面白い。「ゆっくり見ないといけない」時点で困りものかもしれんが。
60年代には「アングラ」として見られたんだろうなあ、と思う。そして「アングラ」として見られるとすれば「エンターテイメント性がない芸術」は振りだろうなあ、と思う。でも「げーじつ」にコストパフォーマンスを求めてはいけない、と。

この音楽は一柳慧らしい。知らないけど。

http://art-into-life.com/?pid=3648233

Merce Cunningham Collection vol.I
Merce Cunningham Collection: Volume 1
Merce Cunningham Dance Company, Merce Cunningham & Elliot Caplan
9085140013
上の三本と違って、これはカラー映像。
ただしカニンガム自身が踊っている映像は収録されいない。
カニンガムのダンスを見て僕が得ることができるのは「人間の身体はこんな風な動きかたもできるのか、という発見」で、そういう地味でめんどくさい"発見"も、頭を柔らかくしてくれるものだから良いものだと思うのだけど、やっぱ昨日見た『ブルース・ブラザース2000』とは違うな、と思った。どっちにしろ僕はできないという共通点もあるけど。

ブルース・ブラザース2000
ブルース・ブラザース2000
ダン・エイクロイド, ジョン・グッドマン, ジョー・モートン, J・イヴァン・ボニファント, ジョン・ランディス
B000E6GB3Aどっちが良いかといえば、そりゃ前作の『ブルース・ブラザース』のほうが面白かったけど、でもそんなかたいことはどうでもよくて、面白かった。これを見ると、80年代初頭から2000年までに「アメリカの音楽」の中に「カリプソ」も含まれるようになった、ってことが分かる。あと「ブルーグラス」って言い方が定着したことも。(「定着」かな?むかしから「ブルーグラス」っていう言い方はあったのかもしれない。知らない。要するに、前作で「カントリー」の位置に置かれていたところに「ブルーグラス」が置かれている、ということ)。
バンドってのは、どんな音楽するかじゃなくて、どんな風に音楽するか、ってことが重要みたい。
一番感心するのは、ブルース・ブラザーズは全く「練習」しないんだな。かっこいい。

SCA-ヘイソク

SCA - MySpace : 音楽の無料試聴、動画、写真、ブログなど:MySpaceなので音が出るので注意。
ウェブサイト(たぶん)
「スカちゃん」から頂きました。ありがとう。
色々なアイデアがいっぱい詰め込まれている感があって面白く聞きました。
「ダーク」な感じは何なんだろうと思いました。「ただの若さ」でないことを祈ります。たぶん「ただの」若さではないと思います。
リフの重ね方が面白かったです。誰もがそう思うわけではないと思うけどけっこう「ポップ」なのかもしれません。
「ノイズ・ポップ」でも「ヒップ・ホップ」でも何でも良いので、リズムのヴァラエティの増加と音質を使った表現が増えるのを期待しときます。

前作と比べて「成長するもんだなあ」感で聴いてしまいました。
とにかく、「音楽とは」とか「芸術とは」とかぐたぐた話すだけのおっさんにはならないように。
あと、これくらいのウェブサイトならタグ打ちで作ろう。
あと、「SCAちゃん」の本名は「SCA」と全く関係のない名前なので要注意。

2009年3月24日火曜日

現代芸術って何や?

大航海 2009年 04月号 [雑誌]
B001TIUTTE
1.
[現代芸術]徹底批判という特集だったのでざっと読んでみて、読む前から、「徹底批判」される対象として「現代芸術」は存在している(いた)と前提されているかどうかという点でそれぞれの記事を読もう、と当たりをつけられる程度には、芸術学を学び始めた頃から自分は成長したことは分かったけど、だからといって「ゲイジュツ」についてどう考えたら良いかはまだ明確には分かってないので、あんまし十分成長していないなあ、と思ったりもしました。

2.
ゲイジュツは人間文化の中で高級な事物ではないけど、じゃあどういうものかというと良く分からないのだけど、あんまし悠長に「分からない分からない」とか言ってる問題に答えが出ることはないと思うので、さっさと考えねば。

3.
なんにしろ、「現代芸術」あるいは「美術批評」が今や壊滅したので新しい基準を求めねば云々という、問題設定そのものに共感できない。
「かつてはあったゲイジュツ」に触れてこなかった人々の声が大きくなった、ということじゃないのか?なんで誰も、社会階層の状況変化、とかに触れないんだ?20世紀半ばと21世紀じゃ、かなり違うに決まってるじゃないか。

4.
自分は「芸術学」という問題設定について再考する準備が出来ていないことを確認するきっかけにはなったかな。で、今んとこ、自分は「芸術学」という問題設定を無効化するつもりはないみたい。自分がどう変わるかは分からないけど、多分けっこう簡単に変わる気がするけど、僕はまだ、げーじつは、それが世界の見方を少し変えてくれるものなら良いものなので、コストパフォーマンスという観点で話をしても仕方ない、と考えてたりもする。

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読後に思ったこと。
バナナの叩き売りの声がはじめは「芸能」の文脈で取り上げられ、90年代以降「芸術」に「なる」のであり芸術で「ある」わけではないことを示した後で、「自らの関わっている「芸術」や「音楽」の価値の話になると、無批判的に肯定することから出発してしまうという、そういう事実の中に人間の性のようなものを感じてしまう」とまとめる渡辺裕先生と(だから何やねんとも思うけど)、不勉強なのであまり知らなかった栗原裕一郎の文章が、飛びぬけて面白かった。
この文章、かっこいいね。一文が長いけど。
「べつにアートにかぎったことではないが、中途半端に市場のロジックに絡め捕られてしまった、かつてはハイ・カルチャーであったようなジャンルにおいては、批評の言説なんて、市場に晒されつつも依然として市場からは孤立した閉回路で実質的には価値付けがなされる作家なり作品なりという「商品」に対し、激安の報酬でパブリシティを受け持つジャンルの下僕に成り果てて久しい。だが、その広告文=批評はアピールするべき外部を持っていない。クローズドな回路で決定される価値を、内側へ向けて、それらしい言葉でふわふわとコーティングしてみせる役割しかもはや果たしえていないのである。」(114)


2009-03-21 - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

2009年3月22日日曜日

ミルコのひかり

ミルコのひかり [DVD]
ルカ・カプリオッティ, シモーネ・グッリー, アンドレア・グッソーニ, アレサンドロ・フィオーリ, クリスティアーノ・ボルトーネ
B00196P8UQ

イタリア映画のサウンド・デザイナーのミルコ・メンカッチという人の少年時代を描いた物語らしいです。
視力を失った人間が音の物語の制作に目覚めていくというお話だけど、音の物語とか障害に関するお話だと思うと、なんだこりゃ、と思います。たぶん。
でもくだらないってわけじゃなくて、むしろ、(お話としてはけっこうご都合主義なところもあると思うけど)けっこう素敵な物語だと思うかもしれません。
暗い場面がほとんどないからですね。
たぶん。

障害は障害だと思うので、障害のある子供たちの手に職を付けさせるべく規律を重視する校長は正しいと思うし、なので、市長とか学生スト団体が「個性の自由な発露」を妨げるという理由でこの盲学校を攻撃するみたいなのだけど、そういうご都合主義な物語が続くと白けてきました。
この映画の筋のポイントの一つは、視力を失った少年が、テープレコーダーを手に入れたおかげで、身の回りの音を録音して素晴らしい(音の)物語を紡ぎ出すようになった、というものだと思うのだけど、そうして作られた音の物語を映画の中で再現するときに、映画のBGM(ピアノとかストリングスとか)をかぶせるのは、これいかに!?と思うし。

でも、全盲の子供たちが楽しそうに活動している場面がたくさんあるのが素敵でした。
自分達で音の物語を作ってみようとしている場面とか。
くよくよしてる描写が、あんましなかったんですね。(たぶん二つくらいしかなかったと思う。)
くよくよしてる暇がない子供たちが描かれてたわけですね。

2009年3月16日月曜日

おくりびと

おくりびと [DVD]
本木雅弘, 広末涼子, 余 貴美子, 吉行和子, 滝田洋二郎
B001Q2HNOW
歩いていける距離にシネコンがあるので、高の原に来てから、映画館で映画を見る回数がぐんと増えました。
で、コラムの花道でとりあげられてたことがあったはずなので、「おくりびと」に行ってきたのだけど、アカデミー賞取った後なんで、やたら人が多かったです。
ものすごく素晴らしい、とかではなかったけど(最後の父親との件とかいらないと思うし、けっこうご都合主義だと思うし、見習いで月収50万円って…と思うし)、まあ面白かったです。長かったけど。涙腺が緩んできてるみたいだし、最近目が悪くなってきてて目の疲れを感じやくなってきてるのもあって、色んな死人を真面目に提示している場面を見るとジーンと来てました。たぶん僕の場合は、個人的な要因が大きかったと思います。物語の入り方が、主人公がそれまで東京で頑張っていた夢(オーケストラ奏者)を諦めて故郷に帰る、というのから始まってたので。あと親の年齢とか。
この映画は、そういう個人的なシンクロニシティ感と、あと、隣に座ってたガキがうるさかったこと、の二点をずっと覚えてるんだろうな、と思いました。

こんな鬱陶しい映画に連れてこられた小学生のガキは可哀想だし、ガキを連れてきたくせに場違いなところで笑って途中で寝てしまうババアがいたりするので、アカデミー賞をとった映画を見る時は気をつけないといけない。

明日は確定申告提出最後の日なので早起きしなければいけない。

2009年3月15日日曜日

椿昇、中華料理

京都国立近代美術館に、椿昇というアーティストの展覧会と、その後の「ラディカル・ダイアローグ」という催し事を見に行きました。メインの目的は、その日の講演会の話し相手で、大学の師匠の美術館館長に会って話をすること、だったので、展覧会はおまけの気分でしたが。
なんつうか、久しぶりにアートを見て、面白かったです。
それが何であれ、そして、コストパフォーマンスがどれほど悪かろうと、世界の見方を少しでも変えるならそのアートは正しい、とか、そういうことを考えてたことを思い出しました。
「ラディカル・ダイアローグ」ってのは、椿昇という人のインタビューするんじゃなく、椿昇という人がインタビューするもので、へーっと思いました。「アーティスト」ってなんだ?と思ったので。どうやら、「問題提起する人」としてのジャーナリストみたいな役割を果たす人だったり、思想を表明する一つのやり方としてアート(と呼ばれるもの)を作る人だったりするみたいだけど、"何でも屋さん"らしいです。
展覧会場に、昔の研究室の後輩で、小説の何かの賞をとった谷崎由依という人がいたり、昔、一ヶ月だけこの美術館でバイトしてた時に知り合った人がまだいたり、神戸大の人がいたりしました。人に会うのは良いことです。
で、中華料理屋に連れてってもらいました。
「共訳」というのは大変面倒くさいものであることを知りました。朝の10時から夕方まで三人がかりで二日で22ページで、全部で220ページって…。
元気でいないと、なんか恥ずかしい気持ちになりますな。恥の感覚は忘れた頃に背筋から入り込んでくるので気をつけないと。そんで、少なくとも本人は面白がれることしないと駄目ですな。世界を揺るがす大きなことはしないとしても、しつこく一つのことにかじりついていかねば。あんまり「効率的」とか考え出すと近視眼的でやってられなくなるな、とか。
とか。
そんなこと思ったり、やっぱり思わなかったり。
ま、京都まで出てって良かったです。中華料理屋は、辛かったけど美味しかったです。
人に答えを求めても仕方ないし、そろそろ2009年度の気分にならないといけないし、そろそろ鬱陶しい気分でいるのは終了。
しゅっとした気分でひょうひょうと生活していかねば。

2009年3月11日水曜日

iPhone×Music iPhoneが予言する「いつか音楽と呼ばれるもの」


著者の一人で東京芸大の金子智太郎くんに頂きました。ありがとさんです。
色々指摘したい点はありますが、iPhoneアプリ(音楽系)に対して、多少なりとも人文学的なアプローチをした初めて(?)の本な気がします(たぶん)。
で、何といっても「ワクワク感」があるのが良いですな。やがて、今はまだ何と読んで良いか分からないものも「いつか音楽と呼ばれるもの」になるだろう、って題名だし。
谷口文和くんのインタヴュー、威勢が良くて素晴らしいですね。色々批判は可能だけど、批判するより「幾つかの文脈をつなげて論じてみること」を試みていることを言祝いでおかねばいけませんね。
いや素晴らしい。「…(何か適当な語を入れておこう:若者とか批評家とか何か)…」は、こうでなくっちゃいけない。
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個人的には、楽器ガジェットとかがたくさん出てきても、消費者みんなが制作者となる夢のような未来よりも、新しい種類のゴミのような表現がたくさん生まれてくる未来を思い描いてしまうのだけど、でも、決して、僕は否定的な感覚でいるわけじゃありません。
僕は、ゴミみたいなものでも、新しいものが出てくることにはたくさん期待しています。
なので、ワクワク感が、なかなか素敵でした。

世界はiPhone(かiPod Touch)を使える人と使えない人に二分されるみたいな気分になりますが、あくまでも、この本の著者たちが関心を持っているのは「iPhone的なるもの」(39)だし、今後iPhone以外のプラットフォームに関わっていくのだろうと思います。
僕も「iPhone的なもの」は今後どうなっていくんだろう、ということには関心があります。でも、いつも思うのだけど、1)この話に全く関わりを持たない人はどれくらいいるんだろう? ってのと 2)そして作られる音楽(かつて音楽と呼ばれたもの)はどんなものになるんだろう? とも思います。
やっぱ、PCとかネットを使わず、CDしか使わずMP3なんか使わない人は知人や親戚には結構いるし。統計的には、日本ではもう半分以下みたいだけど。
あと、iPhoneでも楽器ガジェットでもいいけど、それを使って奏でられる「音楽の内容」ってなんだ?それはそんなに楽しいものなのか?とか、ね。どうなんだろ?やっぱ「楽器のカラオケ」ってことかな?じゃ「カラオケじゃない音楽」はずっと残るのかな?
よう分からんな。

眠いな。
今日はもう寝よう。
神戸のお義母さんにもらった葛餅食べて寝よう。

2009年3月5日木曜日

memo-あらびき団-キュートン


メモ。面白いから。

2009年2月20日金曜日

新・仁義なき戦い。

新・仁義なき戦い。 [DVD]
飯干晃一
B00005L9NQ
金子信雄の機能は、岸部一徳が受け継いだらしい。

とよかわえつじが指を詰めた!

哀川翔(すぐる)がー!(哀川翔が、日本語が不自由な外国人、という設定はいかがなものか。)
これで分裂どころか解散らしい。

なんでも、人は自分の力でたくましく生きていかねばなあ。

布袋のところにとよえつが来た辺りで、(皿洗いしてたのであんまし見れてなかったので)最初の最初のところを再確認しようとしたら、ちょうど、京都の友達と会ってた妻が帰ってきて、なぜか初めから見直すことになった。
つまり、クライマックス直前まで見たら、映画が最初から再生されることになったのだ!
どう思う?
妻が、隣で寝巻きに着替えながら、僕が90分ほど前に見た場面を見てる。
どう思う?


確定申告は、珈琲野薔薇に行くついでに、木津川市役所に出しに行くことにしよう。


ということで、また最初から

組長は担がれてなるもんらしい。

とよかわえつじが、また指を詰めた!

布袋はでかいなー。
この汚職警官は、泉谷しげるではない。

また、哀川翔(すぐる)がー!
(やっぱり、哀川翔が、日本語が不自由な外国人、という設定はいかがなものか。)
そして、てつー!


やっと、見たことのない場面に戻ってきた。


なんちゅう殺伐とした終わり方や…。

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