アメリカ古典文庫〈7〉エドワード・ベラミー (1975年)
音響メディア関連の色々な本で時々言及されるので、先週、どんなものか読んでみました。
1886年に書かれたユートピア小説で、アナーキズムに受け入れられ、発行後数年で100万部を越えるベストセラーになったらしいです。
こんな均質的な社会の何が面白いんだとも思うけど、レトロ・フューチャーはそれが書かれた社会を反映するものだから、後からあれこれ批判しても面白かあないし、音響メディアに言及している部分だけに注目しておこう、と。
結局、「ラジオとしての電話」と「電話を通じた説教」が描かれてるだけ、でした。
1886年に書かれたから、1877年にエジソンのフォノグラフが発明された後の空白の10年の間に書かれたものなので、音楽メディアとしての蓄音機はまだ登場していないし、ラジオは1920年代以降。
対して、1880年代からフランスやアメリカで、電話を通じた音楽やニュース提供会社があったし、1893年から20年間に渡る「テレフォンヒルモンド(ブダペスト)」の活動もあるので、19世紀末は、電話は音楽のためのメディアとして発達していくと考えられていたのかもしれないですね。
吉見俊哉『「声」の資本主義 電話・ラジオ・蓄音機の社会史』について説明する時に、一緒に言及する時に使えるだけ、かな。
小説としては、面白くなかったです。
小説はディティルを描いてこそ面白いと思うのに、あんましディティルを描いていないと思うので。
2008年10月26日日曜日
エドワード・ベラミー『かえりみれば-2000年より1887年』
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